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四十三日目
2021.1.7(木)
行程:
ホテルセントラル西条→番外札所十二番『延命寺』→遍路小屋しんきん庵秋桜



【本当に偉くてすごくてお大師様の教えを踏襲しているのは、お接待をする人です……】
 
昨晩うどん居酒屋で食べたくじらは実にうまかった。土地のものを食うのは実にいいものである。とくに愛媛は菓子類が豊富だ。しょうゆもち(ただし一六タルトのはおいしくない)となんだがとても固い焼き菓子が非常においしい。さて、6:20にホテルを出発する。
 東に行き山を越えれば徳島をはさんでいよいよ香川入りである。
 私が使っている地図(四国遍路ひとり歩き同行二人)は進行方向が右から左のページへ進むようになっており東西南北がころころ変わるのでいつも西に進んでいるような気分になっている。そして土地勘がないので脳内にある日本地図上のどこに自分がいるのかイマイチというかさっぱりわからない。なので今日も東ではなく西へむかって進んでいる感覚である。とはいえ太陽は進行方向からのぼってくる。やはり東なのである。
 この日記をつけている今現在はグーグルマップを参照できるので、「ああ、私こんなとこ歩いてたんだ」と理解できている。

 さて、国道11号を道なりに進む。空模様は怪しい。寒さも随分こたえてきた。レインウェアを着こむ。進む先々のコンビニに立ち寄る。腹が減ったらスイーツを何かしら買う。おかげで今年のコンビニスイーツには詳しくなった。
 コンビニは非常に便利だ。飯も食えるしトイレもあるし充電もできるしゴミも捨てられる。こんな便利なものが各地にあるのだからお遍路旅はなんとも気楽だ。
 さて、そうこうしているうちに厚ぼったい雲から水が降ってくる。ザックにレインカバーをかける。山々には雪がちらついているようだ。雨に濡れる道中も地図に従い国道を離れる。
 とぼとぼ進み、そろそろ腹が減ったなあという頃に『弘法の館』という建物が見えてきた。倉庫にペンキを塗ったような外見だ。今までもこのような建物は目にしてきた。おそらくお接待所というやつだ。平常ならお遍路さんを迎えるべく開いているのだろうが、今は感染症が猛威を振るっておるさなか。開いているところなど一か所しか出会っていない。ここもどうせ閉まっているのだろう……と扉を引いたところ、開いた。
 中は非常に美しく清掃されている。どこかのお宅の応接間かと見まがう様相だ。壁には一面、訪れた人が置いて行ったであろうお札が貼られており、中にはお礼のお手紙も貼られていた。清潔なベッドも用意されていたが基本的に宿泊はノーらしい。
 応接間には机といすが置かれており、机にはノートがある。目を通すと久万で出会ったコーヒー屋さんも今日ここを通過していったようだ。私が雪山でぐずぐずしている間にとっくに先に進んでいたらしい。
 さて、ザックをおろし電子レンジでおにぎりを温める。あたたかいものを食べられるのは単純にうれしい。先客に習い私もノートにお礼の言葉を添え札を置いて館を出た。つかの間の青空が見えた。
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【今日も風呂】
 先ほど分かれたはずの国道に再び舞い戻る。延命寺に到着したころには再び雨は気にならなくなったが風が強くなってきた。延命寺のあずまやにザックを置いて寺を訪問する。このあずまやも宿泊しようと思えばできないこともなさそうだ。しかし住宅地の近くというのは気を遣う。珠をいただき辞する。「これから三角寺と仙龍寺ですか、明日になさるんですか、雪だと坂怖いですものね」みたいな会話をした気がする。今から寺に行くとか坂で滑るとか会話内容が理解に苦しむあたり、おそらく車遍路だと思われていたのだろう。
 次に三福寺に行くつもりであったがいったいどこをどう見逃したのか、曲がるのを忘れて直進し通り過ぎてしまったためもう戻らず国道を東進した。時間的にまだまだ余裕はあるのだが次は山登りが控えているし寒いしそろそろ歩くのも飽きてきている。今日は山麓の伊予三島の町で一泊することとする。
 でかい道路のでかい歩道橋をあがり、見下ろした先にそのヘンロ小屋はあった。まるでバス停だ。ヘンロ小屋の周りは駐車場かバスの転回場にしか見えない。そしてやはり風がすごい。すっかり体が冷えてしまった。ザックをヘンロ小屋に放置して風呂へ行く。『湯あそび広場三島乃湯』というところだ。二日連続で風呂に入れるなんて幸せだ。ついでに充電もして飯も食う。今日は鍋焼きうどんだ。ほんとうに体があたたまる。

 すっかり暗くなりヘンロ小屋に帰ってテントを張ろうとする。……するとこんなに真っ暗なのに男性が一人やってきた。なんでもテント無しで遍路しているらしい。仕方なく小屋内を譲り私は外にテントを張る。ものすごい風に四苦八苦しながら張り終える。男性が「手伝いましょうか」と言ってくれているので甘えればよかったのだが、つい癖で「大丈夫です!」などと言ってしまう。人とかかわることを億劫がる引っ込み思案の性格はどうともならない。
 男性は小屋の中にマットをひろげて寝袋を構えなかなか居心地よさそうだ。私もなんとか我が家を建ててくつろぐことにする。

 さて、明日は三角寺と仙龍寺である。山の中を歩くようだがお遍路での山登りなど慣れたものである。ゆっくり体を休めて明日に備えることとする。
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【歩いた距離、歩数】
44.02km 64,238歩

【つかったお金】
ごはん 3,319円
お賽銭 1円
宿   2,755円
風呂  600円

四十一日目
2021.1.5(火)
行程:
丹原総合公園→別格十番『興隆寺』→久妙寺→六十番『横峰寺』→星ノ森→六十一番『香園寺(こうおんじ)奥の院』


 ラーメンをすすりごぼうサラダを食う。まだ暗い中テントを片付ける。
 公園にはまた戻ってくるのでザックを放置したまま北へ進む。番外霊場の久妙寺(くみょうじ)が見えてくる。
 久妙寺には閻魔像がある。閻魔像はしっかり写真を撮りたいので久妙寺は明るくなってから参拝することとし、まずは別格十番『興隆寺』を目指す。
 車道を進み民家の間を抜ける。まだ暗いけれど民家の前では女性がふたり会話している。おはようございます、と言って横を歩いて行く。「お遍路さん?こんなところに?」「ほら、この上、お寺さんあるやろ」「へえー」そんな会話を背中で聞く。
 墓地の間を歩いていると犬の散歩をしている男性に出会う。あいさつをしてさらに登る。
 道路両脇に広い駐車場が見え、橋を渡ると苔むした森の中にすっと石畳の道が一本伸びているのが見える。静謐な森。雰囲気がある。美しい。番外霊場でなくてもこんないい感じの場所があるのかと驚いた。
 石段を登り終えると境内が見える。大師堂を見上げると人の背丈ほどの幅のある天狗面がどんとかざられている。私は天狗と閻魔の近くで寝ていたのか。いやおうなくテンションが上がる。
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 本堂、大師堂と参拝し納経所へ向かう。珠をいただく。「歩き遍路さん?ちょっと待ってな」と言って納経所の女性は大師堂へ向かう。出てきた女性の手にはみかんとタオル。そういえばここは今治市だった。ありがたくいただく。
 静謐で美しい森を再びぬけて墓地を降りていく。すると目の前には白く雪をかぶった平らな山岳が遠くに見えてくる。あれは……間違いない。一目でわかる。石鎚山である。西日本最大の標高を誇る霊峰が目の前に現れた。美しい山に見惚れながら高度を下げる。さて、ここからはお待ちかねの久妙寺である。
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 久妙寺閻魔堂。説明板にはこう書かれている。『閻魔大王尊像は四国でも数か寺しかなく、非常に珍しい尊像である。』なるほど確かにここまで閻魔像をお目にかけることはなかった。珍しい閻魔像をしっかり目に焼き付けよう。……と、この時は思った。この文章が嘘であることはこの先々で明らかになる。

 久妙寺を辞して荷物を回収し県道147号を南下していく。中山川を渡る手前で目の前に車がとまる。「お遍路さん、どうぞ、これ」車の窓から顔を出した男性は私に缶ミルクティーを渡した。「おつかれさん、がんばってね」車はさっそうと走っていく。感謝しつつ歩いて行く。

 今日の行程で出会える最後の商店であるファミリーマートにたどりつく。ファミリーマートのイートインには『お遍路さんのお荷物一時保管致します』とでかでかと表記してある。

 買い出しを終えて六十番『横峯寺』へ、アスファルトの車道を高度を上げていく。
 2km……5km……黙々と高度を上げていく。
 背後から車がやってくる。「お遍路さん、がんばって。はい、これ」飴玉を2個いただく。車は私をぬいて走っていく。しばらくするとまた同じ車が帰ってきて、「お遍路さん、この上にな、トイレとあずまやあって、あと水場あるから。そこの水飲めるからね!がんばって!」そして颯爽と走り去っていった。
 車道を登り詰めると東屋、駐車場、水場、トイレがある。東屋にノートがありめくってみる。『~~区切り打ちで明日帰るので今日は仙遊寺からここまで来ました。まっくらな中歩いてきました。~~神奈川県るんぺん』
 ああ、あの人だ……。るんぺんさんっていうんだ。と、この時は思ったのだが、帰宅後に調べてみたらるんぺんというのは一般名詞だった。いわば歩き遍路は全員るんぺんだ。
 さて、駐車場には車が目立つ。普通のハイカーのもののようだ。ここから横峰寺まではほんの1.6km。一時間あれば十分登れる距離である。ということは横峰寺までではなくてほかにルートがあるのだろう。さて、急な階段へ一歩踏み出し横峰寺への山道を歩く。

 山道を登り終えると三門があらわれる。境内には白く雪が積もる。本堂、大師堂と参拝を終えてまた三門へ戻る。
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 石鎚山へ向かう道へ進む。0.6km進むと奥の院である『星ノ森』に到着する。
 大師像があり、私の背丈の半分ほどの高さの金属の鳥居が立つ。南に開けた展望の向こうには、石鎚山だ。鳥居の前には小銭がちらばる。
 当初、公園ではなくここで野宿しようかとも考えていた。実際テントも張れる平らないい場所だ。今後のために幕営適地として覚えておこう。
 ガッチリ山装備に身を固めた男女がいたので石鎚山まで行ったのかとたずねると星ノ森までですと答えた。過剰装備だなあと思いながらそうですか、石鎚山まで行きたいですねえなどと会話をした。
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 星ノ森を辞して横峰寺へ戻る。寺の前には休憩所がある。ここも野宿適地である。中にはすでに昼飯をはじめている男女がいる。少し会話をして寺を辞する。

 山道をゴリゴリ下り、分岐を西へ。香園寺奥の院『白滝』にでてくる。白滝は土砂崩れで参拝不可能な状態になっている。白滝は参拝不能であるが奥の院には白い建物があり、お大師様が祀られている。そこは有人であった。現地の人からの信仰が篤いようで作業着の男性が奥の院の女性と談笑している。その様子を横目にお大師様に参拝し進む。参道入り口にはほぼ壊れているトイレと東屋があり、そこでテントを立てて少し早いが幕営とする。
 テントを立てて寝袋にもぐりこむ。暗くなると獣が歩き回る音が聞こえた。鼻息から察するにイノシシだろう。東屋の中にまでやってくることはなく何の問題もなく一夜を過ごした。


【歩いた距離、歩数】
34.43km 49,930歩

【つかったお金】
ごはん 696円
お賽銭 5円
珠   300円

四十日目
2021.1.4(月)
行程:
五十八番仙遊寺→竹林寺→五十九番国分寺→世田薬師→臼井御来迎→実報寺→日切大師→別格十一番生木地蔵→丹原総合公園

その2

 コーヒーを飲み終えて今治市を北へ。五十九番『国分寺』を目指す。
 国道196号ぞいに歩いていると白い車が停まっている。その横には全身をアウトドアブランドのアークテリクスでかためた男性が立っている。
 「お四国参りで?歩き?カッコイイなあー!!ちょ、写真撮らせて!!」
 男性はザックを背負って杖突き歩いている私の姿を見つけて、車を止めて待ち構えていたそうだ。
 男性はなんと昨日石鎚山に登ったらしい。インスタグラムにうpったきれいな写真を見せてもらう。空の青と雪の白が見事なコントラストである。
 昨日石鎚山に登った人に出会うのはこれで二人目である。すごい偶然だ。
 少し話をして別れる。私が国分寺の方向がわからずまごついていると男性はここをまっすぐ行って右に曲がるとすぐ着きますよと教えてくれた。

 国分寺に到着である。参拝を済ませて県道156号を南下する。
 仙遊寺の歩き遍路さんと再会するとすればこの道だろう。だけれど彼はまだ来ない。

 県道沿いの道の駅『今治湯の浦温泉』で休憩する。名前通り温泉があることを期待していたがそこには入浴できる温泉はなく、噴水だけがあった。落胆して先へ進む。

 道の駅を過ぎてまたもや今治小松自動車道をくぐり、世田薬師へ向かう。境内は年始で人がごったがえしている。ここから2kmほど登ると世田薬師の奥の院らしいが面倒になり行かなかった。

 ここからは番外霊場が続く。
 まず『臼井御来迎』をたずねる。民家の裏にちまっと立つ小さなお堂だ。隣にはあずまやがある。そのあずまやでは野宿できないが、ここから1km歩いた光明寺で宿泊ができるという張り紙がしてある。
 次は『実報寺』だ。ここは地蔵の寺だ。最高だ。
 そしてまた戻って『日切大師』へ向かう。こぢんまりしているがここも雰囲気がある。良い寺だ。
 八十八か所では得られない充足感を胸にどんどん郊外へ向かう。

 民家で飼われているポニーを眺めて丹原町へと入っていく。
 途中で軽トラに乗る男性に声をかけられる。
 「どこまで行くの」「生木地蔵までです」「生木……ああ、あそこか。場所わかるか?」「はい!大丈夫です。ありがとうございます!」

 そうして六十番『横峯寺』がある山を正面から左手に変えて県道48号を西へ進む。
 別格十一番『生木地蔵』に到着である。
 この時は気づかなかったが私は300円の珠をいただくのに500円玉を出して、300円受け取ったらしい。
 生木地蔵をあとにして買い出しを終える。今日は月曜日なのでジャンプを買う。それから進行方向は北に変える。次の目的地は別格十番霊場『興隆寺』なのだ。
 しかし今日はもうタイムアップ。丹原総合公園にて幕営する。

 丹原総合公園に到着する。公園には子供連れの家族がたくさんいる。目立ちたくない私は公園のはずれにあるトイレ近くのベンチに腰掛けて、ビールとおつまみをいただきながらジャンプを読む。
 お遍路中はアルコール断ちをする!と決めて歩き始めたわけだが、年越しの宴でビールと日本酒を飲んで以来、お遍路で酒断ちすることに意味ある?と思い直して、普通に酒を飲み始めたのだ。
 ほろ酔いになってきたころ、おばあさんに声をかけられた。
「歩き遍路か、えらいな。がんばって!これあげる!あ、これも。ここにもあるな、これもあげる!」と、ポケットに入っているお菓子を一切合切私にくれた。

 好きな時に歩いて好きな時に飯食って酒飲んで好きな場所で寝て仕事もせずだらだらしているだけのお遍路。そんな私に励ましと称賛の言葉をくれてさらに食べ物まで与えてくれる。
 四国の人にとってお遍路さんとはなんなんだろう。厄介なもの?ありがたいもの?応援したいもの?忌避すべきもの?私が自分の家の近くに遍路道があったりなかったりしてお遍路さんがたびたび歩いてきたらどう思う?いやか?うれしいか?

 歩き去る女性を見送り再びベンチに座りビールを飲み、お遍路とは何なのかについて改めて思いをめぐらした。


【歩いた距離、歩数】
33.33km 48.370歩

【つかったお金】
ごはん 1,372円
お酒  168円
お賽銭 11円
ジャンプ 300円
珠   300円

三十八日目
2021.1.2(土)
行程:クラウンヒル松山→五十三番円明寺→
五十三番奥の院→鎌大師→道の駅風和里


 ホテルは年末年始限定でウェルカムドリンク(アルコール含む)が飲み放題で昨晩は飲み散らかした。文字通りグラスをひっくりかえして液体を散らかした。ホテルの人ごめんなさいありがとうございます。
 朝飯はバイキングに加えて、田作り、黒豆、かまぼこのおせちセットが出てきた。
 ゆっくり朝飯をすまし7:30に出発である。


【五十三番円明寺】
 国道196を北上し最短距離で五十三番円明寺へ急ぐ。すでにお寺には参拝者がいる。
 本堂には四天王像が立っておりいやがおうにもテンションは上がる。
 お大師さまもちゃんと公開されている。よい寺だ。
 この辺は隠れキリシタンの伝承もあるらしく、境内にはキリシタン灯篭なるものが立っている。

 寺を辞して奥の院を目指す。昨日、消防団のおっちゃんに
「奥の院まで行くの?遠いよー……」と呆れられた。
 いやいや、ここまで歩いてきた距離と比べたら全然遠くないですよ、たった3kmですよ?と言ったが納得顔ではなかった。なんでだ??
 とてもせまい道を歩く。後ろから軽トラがやってきていたが譲れないほどにせまい。ひらけたところで横に避けた。軽トラの運転手は嫌な顔一つせず、会釈をくれた。良い人だ。
 奥の院まではお遍路看板は無い。唯一奥の院の百メートルほど手前に白地に赤字の四角いへんろ道保存協力会のへんろ道看板が現れた。奥の院に到着である。
 6畳ほどのお堂はこじんまりしているがきれいに整備され「南無大師遍照金剛」ののぼりも立っている 。中をのぞくとほこりひとつなく綺麗に掃除されておりお供えの品もたくさん並んでいた。
 奥の院を辞して北へ進む。
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【北条市・鎌大師】
 松山市から北条市へ、国道196沿いを海を見ながら歩く。海はとても青い。こんな綺麗な海を見ながらならば固いアスファルト歩きも苦にならない。
 電車の形をしたカフェがあり、海に落ちるぎりぎりの場所にベンチが置かれている。誰も座っていないベンチセットが青い海を背景にしているさまはなんだか絵になる。
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 北条の集落には蓮福寺大師、西ノ下大師など大師堂がちらほらみられる。どこも綺麗に整備されており大きな大師像が立つ。信仰の深さをうかがわせる。
 蓮福寺大師堂の前に白い軽トラがとまっており、横を通り過ぎようとすると年配の女性がやってきた。御接待である。はい、と渡されたのはティッシュにくるまれた何か。
「ジュース一本しか買われへんくて悪いけど」
と言いながら渡されたそれはきっと、私を見て車をわきにとめてわざわざくるんでくださったのだろう。現金であった。御接待とはいえ現金はものすごく受け取りづらい。目を丸くして驚いた後、すみません、ありがとうございます、を何度も言った。お遍路大変だね、全部歩くの?でも大丈夫か、ここまでこれたんだから、ファイトー!!と、めちゃくちゃ元気なおばあちゃんだった。どぎまぎしている私はテンションを合わせることができなくておばあちゃんに違和感を与えてしまったかもしれない。
 四国の人々は(高知県以外は)よく話しかけてくれる。けれどなにせ私が話し下手すぎて、折角話しかけてくださったのにも関わらず、こちらは楽しい話ひとつもできず、相手に心地悪い気分をさせているかもしれないと常々思う。話しかけてくださったのに申し訳ないと感じる。
 思い出す。古岩屋バス停で出会ったコーヒーの彼。彼は、
「せっかく話しかけてくれたんやから、話しかけてよかったなーと思ってもらいたい。だから、コーヒーでも点ててちょっと小一時間お話しよと思てるんですよね」と言っていた。
 さすがにコーヒーを点てるまではいかないが、せっかく話しかけられたのだからちょっとお話しましょか、という余裕は私も持ちたい。
 でも話し下手なのは仕方ないよね。会話術っていうのは場数を踏まないとうまくならないよね。ここは人がいい四国の方々の胸を借りて、お遍路を通して会話の練習をしていこう。そう前向きにとらえることにした。
 ティッシュにくるまれた現金は千円札一枚。……飲食に使うのは悪い気がしたのでお寺の納経所のみで使用することとした。

 北条市の中心部から郊外へ抜ける。次の目的地は『鎌大師』だ。鎌大師の由緒を下に記す。
『弘法大師が行脚の途次、この地に悪疫が流行していることを哀れんで、村人に鎌で刻んだ大師像をあたえたところ、無事平癒したので、その大師像を本尊としてこの地に堂を建て、「鎌大師」と呼んで深く信仰されてきたと言い伝えられる。』
 悪疫封じの御大師様。ということは昨今の御時勢、参拝者はたくさんいるだろう、境内にあるヘンロ小屋にあるノートをめくってみると案の定『新型コロナ退散』などの文面が踊っていた。
 ちなみにこのヘンロ小屋は野宿禁止である。野宿はしないが雨が弱くなるまで遍路小屋で座っていた。
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 雨が弱まってきた。さてそろそろ出発である。
 来た道を戻って幕営予定地の『道の駅風和里(ふわり)』へ向かおうとしたがどうやら横道があるらしい。住宅地の間を抜けて海岸沿いに出る。海岸沿いを道の駅に向かう。なぜか沖縄のブルーシールアイスの店舗がある。購入はしなかった。ブルーシールアイスを見送ってさらに進むと道の駅に到着だ。


【道の駅風和里】
 道の駅は年末年始で休業中だ。休業中だが駐車場は車がいっぱい。観光客もたくさんいる。バイカーも集合しているし、キャンピングカーは4台もある。
 そしてこの書き入れ時を逃すものかと営業している店舗、というかキッチンカーが駐車場に2台ある。ひとつはラーメンでひとつはコーヒーだ。さすがに繁盛している。さらに奥に行くと道の駅が休業中のさなか、アイスクリーム屋だけが経営している。さすがにこの時期にアイスクリームは売れないようで売れ行きはふるわないようだ。

 アイスクリーム屋の手前が飲食スペースになっている。屋根があって、ごみ箱、椅子、机がそろっていて幕営には便利だ。さらに人があまり来ない。トイレの導線からも離れている。幕営好適地だ。今日はここにテントを張ろうとソフトクリームをなめながら即決した。

 ベンチに重たいザックを置いて夕日見物にでかける。道の駅から道路をはさんで向いは海だ。西に展望が開けている。風が強くて寒いので壁があるところに腰かけて、サングラスをかけて落ちていく夕日を観察した。

 夕日観察を終えて夕食である。さきほど目を付けたベンチでおでんをあたためて汁にうどんを漬ける。うまい。温かい飯が胃袋にしみる。この道の駅はごみを外から持ち込んでもOKのようだ。非常にありがたい。
 寝る前のストレッチをすまし、明日以降3日くらいの旅程を地図をにらみにらみ確認して眠りについた。
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【歩いた距離、歩数】
28.86km 41,949歩

【使ったお金】
ごはん 1,724円
お賽銭 1円
ビタミン剤 1,780円

三十六日目
2020.12.31(木)
行程:杖ノ渕公園→香積寺(隻手(かたて)観音)→四十九番浄土寺→五十番繁多寺→五十一番石手寺→五十二番太山寺→太山寺奥の院



 テントの中でパンをかじる。レーズンがいっぱい入ったカンパーニュ?である。昨日も今朝もパンまみれでうれしい限りだ。

 今朝はまず番外霊場の香積寺(こうしゃくじ)を訪れる。墓地に埋もれた寺の前には男性がひとり小用を足していた。神も仏も恐れぬ行為である。
 境内には五色の布がかかっている。明日、いや今夜からの初詣準備だろう。
 香積寺は別名隻手観音というらしいが、由緒書きらしい看板等はどこにも見当たらない。お大師様がいたので会釈して寺を辞した。
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 雨上がりの空は異様に美しい。朝日をうけて染まる雲は背景の青と見事なコントラストを呈する。これからどんどん北上し、舞台は道後へ。松山の中心部へ向かうのだ。まさかこんなド年末、大みそかに道後に来ることになるなんてね。
 各寺の前にはかどまつが建つ。四十九番浄土寺の三門は工事中で緑のネットをかぶっていた。
 鐘を鳴らして本堂の前に立つ。とっくに般若心経はマスターしている。御本尊をみすえて、『なにがお経だ、こんなものを唱えたところで本当に世を救えるなんて思っているのか?』と想いを込めて経をとなえる。ただ、『南無大師遍照金剛』の三回だけは頭をたれて静かに唱える。それが今の私の読経スタイルだ。

 寺を辞し北へ。道路や脇道に描かれるお遍路のイラストはとてもかわいい。住宅街を指示に従ってぬけていく。五十番繁多寺に到着。鐘楼の天井絵が鮮やかだ。
 指示に従いさらに住宅街をぬける。石手川をわたるとそこからは観光地の世界。五十一番石手寺は道後温泉に訪れる観光客でにぎわっている。
 胎内くぐりのような地蔵巡りの洞窟がある。洞窟に入るには100円を賽銭箱に入れなければならない。なんでそんなもん払わにゃならんのじゃい、と思いながらしょうもない洞窟を歩いて出てきた。寺を辞したころに手袋を片方なくしていることに気づき寺に戻る。みつからなくて、よもや、と思い立ち洞窟に再度かけこむと手袋を発見した。100円程度ケチってるんとちゃうわ、と仏さまに怒られたのだ。徳島の勝浦で出会った男性風に言うならば、「やられた!!」である。やられた。ちゃんと払います。と、賽銭箱に100円を投入した。
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 石手寺の裏から遍路道がのびている。しかし番外霊場義安寺に寄りたかったので県道187号ぞいに北上する。義安寺を辞してさらに進むと場所はもうほぼほぼ都会である。火の鳥が壁を飾る道後温泉の横をとおりぬける。観光客が往来する商店街で土産物屋を見てぶらぶらする。ある土産物屋で「一週間は生きて行けそうな荷物やねえ」と軽口をたたかれて気分を害して土産物屋で飯を探すのをやめてさっさと商店街を辞する。

 伊佐爾波神社の石段を登る。14kgのザックを背負ったまま、ぜいぜい息を荒げながら歩いている観光客などを横目にすいすい登っていく。当たり前だ。ゆっくり歩くほうがしんどいのだ。階段上りはスクワットと同じ。スクワットはゆっくりやった方がキツい。
 『伊佐爾波(いさにわ)神社』
 延喜式内社である。仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、三柱姫大神を祀る。
 社伝によると仲哀天皇、神功皇后が道後温泉に来浴した時の行在所跡に建てられた神社で、建内宿禰が審神者を務めたことから伊佐爾波という社名になったという説がある。なお、湯月八幡とも呼ばれていた。四国は八幡社が多い。

 神社からさらに登ると『宝厳寺』がある。一遍上人が生まれた場所であるそうだ。境内には『一遍上人堂』があり、ミニ美術館となっている。入場は無料。一遍上人像、一遍聖絵が展示されており、各巻について説明したパネルも展示されていて見ごたえがある。

 長い石段を降りていく。女性に声をかけられる。
「次はどこのお寺まで行かれるんですか?」「えっと、太山寺です」「そんな遠いところに……?!」そうおっしゃってから姿を消し、しばらくして戻ってきた彼女は、
「お茶しかなくて悪いんだけど……寒いので、気を付けてください」とあったかいお茶をくださった。わざわざ近くの自動販売機で購入して下さったようだ。ありがたくうけとる。

 初詣にむけてたくさんの屋台が道路両脇に連なっている。横目にどんどん北上する。

 『山頭火一草庵』に立ち寄る。
 どうしようもない歌人、種田山頭火もお遍路をしたらしい。したといってもほんの少し。高知県まで訪れたところで、これから寒くなるから愛媛へ進めない。。となって、久万町を一直線に目指して道後におりてきたそうだ。そしてふらりと松山へやってきた山頭火は支援者の好意によりのちに『一草庵』と呼ばれる納屋に住んだ。
 一草庵には入れなかったが庭にある建物に山頭火の一生をつづったパネルがあった。ほんとうにどうしようもないクズ野郎だった。

 ここから番外霊場の蓮華寺というものがあるのだがパスして五十二番札所太山寺へ向かう。
 スーパーに立ち寄り買い出しを行う。私はすごくわくわくしていた。なぜか。お遍路中はアルコール禁止、そう決めていたが、年越しである今晩だけは飲んでいいと決めたからだ。
 年末準備のお客でごった返すスーパーで年越しそば、おつまみ、日本酒、ビール、を購入する。すべて詰め込んだザックはこの旅で一番重たい。

 久々に重たいザックをかついで太山寺を目指す。都会から離れて大将軍神社の脇を抜けて長い参道にたどり着く。参道入り口にはザック姿の男性がいる。お遍路さんだろう。あいさつをして足早に寺に向かう。参拝をして済ませてすぐ裏山に向かう。この裏山のてっぺんが奥の院だ。今夜は山頂にテントを張りお酒を飲んで過ごすのである。
 寺の奥の院で年越しをするお遍路。最高である。おそらくこんなところで幕営したお遍路さんはほかにいないだろう。

 山頂にテントを張れるスペースはあるだろうか?お寺の人が見回りに来て追い出されたりしないだろうか?いろんな『もし』を脳裏に描きつつ、わくわくとどきどきで胸をいっぱいにしながら山道を登りだした。
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【歩いた距離、歩数】
37.75km 54,827歩

【つかったお金】
ごはん 3,605円
酒   927円
お賽銭 53円

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