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三十九日目
2021.1.3(日)
行程:
道の駅風和里→青木地蔵→五十四番延命寺→五十五番南光坊→別宮大山祇神社→五十六番泰山寺→龍泉寺→五十七番栄福寺→五十八番仙遊寺


 夜明けはすっかり遅くなった。野宿遍路としてはありがたいことだ。
 暗闇の中でラーメンとすきやきを食う。うまい。ラジオ体操をしてテントを片付けて610、出発である。
 国道196号を歩く。辺りは薄暗く、走り抜ける車もライトをつけている。

 海岸沿いを歩いて行き遍照院にたちより変質者を見る目で見られ(ほとんどの地元の人は番外霊場というものを知らないのでお遍路さんが来るとは思っていない)立ち並ぶ瓦屋を見送り四国石油の工場に入っていくタンクローリーを見送る。工場のわきから裏手に入り、野宿するとキリシタンの霊を見ると噂の『青木地蔵』に立ち寄る。
 青木地蔵には通夜堂があるが、ルールを守らない一部お遍路さんのために今は使用禁止となっている。
 海岸沿いから街中へと入っていきお遍路の舞台は今治市になる。

 五十四番札所『延命寺』にたどり着く。
 延命寺はもともと『近見山』の頂上にあったらしい。番外霊場や奥の院も訪問している私としては訪れるべきなのだが面倒になって訪問しなかった。
 延命寺の参拝を終える。ザックは重たいので境内のベンチにデポしていた。ザックを取りに戻るとザックの上に伊藤園の紙パックのジュースが置いてある。これは落とし物や忘れ物ではなくて、多分、お接待なんだろう。辺りを見てみると駐車場に伊藤園の自販機があった。わざわざ買ってきてくださったのだ。デポしたザックの上に置いておくなんて粋なことをしてくださる。ありがたくいただく。

 延命寺を辞し東へ進む。四国といえば北側に角が二本生えた形をしている。ここは四国の西側の角のさきっちょだ。ようやっと愛媛県の北部まで来たのだ。見える海は太平洋から瀬戸内海に変わったのだ。

 五十五番『南光坊』に到着する。参拝をすませ境内のベンチでパンをかじっていると、隣でヨーグルトを食べているおじいさんに声をかけられる。
「私はお遍路さんに出会ったらジュースをおごることにしているんです」
と、自動販売機で缶コーヒーをごちそうになる。
 そこで20分ほどしっぽり話し込む。
 昨日出会ったお遍路さんは鎌大師で宿泊されたらしいですよ、と情報をもらう。はて、鎌大師のヘンロ小屋は野宿禁止だったはずだが……?と思ったがどうもお堂の方に泊めてもらえるらしい。通夜堂ということだ。鎌大師は知る人ぞ知る有名お堂らしく、『てづかみょうけん』さんという超有名人物の逸話があるらしい。帰宅後にググったら『手束妙絹』さんという方がヒットした。

 今治市街を抜けて道路を進み五十六番『泰山寺』に到着する。奥の院『龍泉寺』に参拝し寺を辞する。
 五十七番『栄福寺』を参拝する。寺を辞する。
 さて、そろそろいい時間である。五十八番『仙遊寺』まで行くかそれまでにいい場所があれば幕営準備をするか選択どころである。
 16年前のガイドブックを見て、犬塚池の横に書いてあるWCマーク、ここにテントを張れないかとあたりをつけていた。実際にたどり着いてみると工事現場にあるような簡易トイレがひとつたっていて、その周りは草むらと斜面。とても幕営できるような場所ではなかったし、トイレも利用したいと思えるようなものではなかった。
 さて、ここから先で幕営予定地は仙遊寺の通夜堂か仙遊寺直下にあるらしい休憩所である。

 どうしようかと悩みながらもガシガシ進んで五十八番札所『仙遊寺』まで来てしまった。
 山門をくぐりキツい坂を汗だくになって登る。飼い犬にほえられまがらたどり着いた境内では子供が走り回っている。お寺の住人だ。参拝をすませて納経所で泊めてもらえるか尋ねると、髭を生やしたシブいおじいさんは最初こそいぶかっていて返答も険があったものの、だんだん態度が軟化していき、最終的には優しく猫なで声と笑顔で対応してくれた。
 普段はお風呂に入れるそうだが今日はお風呂の準備ができないらしく何度もすみませんと言われた。こちらとしてはお風呂があることを想定していないので何も謝られるいわれはない。
 通夜堂に連れて行ってもらい使い方や水、電気、寝床の説明を受けたが、その後男性の歩き遍路さんがやってきて、通夜堂は男性が、私は僧房の納屋に通された。納屋はなんとエアコン完備だ。無料で宿泊させてもらうのにエアコンを使用するなど恐れ多い。エアコンは使わないでおこう。と考えていたはずだが結局寒さに負けてエアコンをつけてしまった。
 仙遊寺境内からの眺めはとてもいい。夜景も良いことだろうと夜中に外に出ると何やら人の気配。こんばんは、と声をかけられたので私もこんばんはと返す。僧房に戻ると玄関にはチェーンスパイクの箱、登山リュックが置かれている。さっきまでなかった靴は明らかに登山用である。
 トイレに行って帰って来たときに荷物の持ち主が玄関にいたので思わず声をかけてしまった。
 あの、山に行かれてたんですか……?と尋ねると彼女は嬉しそうに答えてくれた。
 彼女が行っていた山は石鎚山で、人生はじめての雪山登山をしてきたとのことだ。今後も雪山に行きたいのでまずはチェーンスパイクを購入したとのことだ。
 今日の石鎚山の写真を見せてもらった。石鎚山は相変わらず雪の白と空の青のコントラストで輝いている。
 おそらく彼女は仙遊寺で修業中のお坊さんで、お遍路さんを通夜堂へ案内することは彼女の役割なのだろう。ついでに言えば温泉を準備するのも彼女の仕事。だから今日は温泉が準備できなかったのだ。貴重なお休みを人生初の雪山でガッチリ楽しんできたのならこんな幸いなことはない。
 明日も朝早くからお勤めだろうに、山登りでお疲れのところをお引止めして申し訳ないが少しお話をして寝床に戻った。
 寝床に戻ると彼女は部屋にやってきてみかんを3個くれた。お礼を言ってありがたくいただく。
 その夜は部屋の中でパンときんぴらごぼうとみかんをかじり、板の間にたたみをしいて持参の寝袋に入って寝た。たくさん歩いて疲れた体は寒さなどものともせずすぐに眠りに落ちて行った。


【歩いた距離、歩数】
40.83km
59,315歩

【使ったお金】
ごはん 2,068円
お賽銭 6円

三十八日目
2021.1.2(土)
行程:クラウンヒル松山→五十三番円明寺→
五十三番奥の院→鎌大師→道の駅風和里


 ホテルは年末年始限定でウェルカムドリンク(アルコール含む)が飲み放題で昨晩は飲み散らかした。文字通りグラスをひっくりかえして液体を散らかした。ホテルの人ごめんなさいありがとうございます。
 朝飯はバイキングに加えて、田作り、黒豆、かまぼこのおせちセットが出てきた。
 ゆっくり朝飯をすまし7:30に出発である。


【五十三番円明寺】
 国道196を北上し最短距離で五十三番円明寺へ急ぐ。すでにお寺には参拝者がいる。
 本堂には四天王像が立っておりいやがおうにもテンションは上がる。
 お大師さまもちゃんと公開されている。よい寺だ。
 この辺は隠れキリシタンの伝承もあるらしく、境内にはキリシタン灯篭なるものが立っている。

 寺を辞して奥の院を目指す。昨日、消防団のおっちゃんに
「奥の院まで行くの?遠いよー……」と呆れられた。
 いやいや、ここまで歩いてきた距離と比べたら全然遠くないですよ、たった3kmですよ?と言ったが納得顔ではなかった。なんでだ??
 とてもせまい道を歩く。後ろから軽トラがやってきていたが譲れないほどにせまい。ひらけたところで横に避けた。軽トラの運転手は嫌な顔一つせず、会釈をくれた。良い人だ。
 奥の院まではお遍路看板は無い。唯一奥の院の百メートルほど手前に白地に赤字の四角いへんろ道保存協力会のへんろ道看板が現れた。奥の院に到着である。
 6畳ほどのお堂はこじんまりしているがきれいに整備され「南無大師遍照金剛」ののぼりも立っている 。中をのぞくとほこりひとつなく綺麗に掃除されておりお供えの品もたくさん並んでいた。
 奥の院を辞して北へ進む。
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【北条市・鎌大師】
 松山市から北条市へ、国道196沿いを海を見ながら歩く。海はとても青い。こんな綺麗な海を見ながらならば固いアスファルト歩きも苦にならない。
 電車の形をしたカフェがあり、海に落ちるぎりぎりの場所にベンチが置かれている。誰も座っていないベンチセットが青い海を背景にしているさまはなんだか絵になる。
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 北条の集落には蓮福寺大師、西ノ下大師など大師堂がちらほらみられる。どこも綺麗に整備されており大きな大師像が立つ。信仰の深さをうかがわせる。
 蓮福寺大師堂の前に白い軽トラがとまっており、横を通り過ぎようとすると年配の女性がやってきた。御接待である。はい、と渡されたのはティッシュにくるまれた何か。
「ジュース一本しか買われへんくて悪いけど」
と言いながら渡されたそれはきっと、私を見て車をわきにとめてわざわざくるんでくださったのだろう。現金であった。御接待とはいえ現金はものすごく受け取りづらい。目を丸くして驚いた後、すみません、ありがとうございます、を何度も言った。お遍路大変だね、全部歩くの?でも大丈夫か、ここまでこれたんだから、ファイトー!!と、めちゃくちゃ元気なおばあちゃんだった。どぎまぎしている私はテンションを合わせることができなくておばあちゃんに違和感を与えてしまったかもしれない。
 四国の人々は(高知県以外は)よく話しかけてくれる。けれどなにせ私が話し下手すぎて、折角話しかけてくださったのにも関わらず、こちらは楽しい話ひとつもできず、相手に心地悪い気分をさせているかもしれないと常々思う。話しかけてくださったのに申し訳ないと感じる。
 思い出す。古岩屋バス停で出会ったコーヒーの彼。彼は、
「せっかく話しかけてくれたんやから、話しかけてよかったなーと思ってもらいたい。だから、コーヒーでも点ててちょっと小一時間お話しよと思てるんですよね」と言っていた。
 さすがにコーヒーを点てるまではいかないが、せっかく話しかけられたのだからちょっとお話しましょか、という余裕は私も持ちたい。
 でも話し下手なのは仕方ないよね。会話術っていうのは場数を踏まないとうまくならないよね。ここは人がいい四国の方々の胸を借りて、お遍路を通して会話の練習をしていこう。そう前向きにとらえることにした。
 ティッシュにくるまれた現金は千円札一枚。……飲食に使うのは悪い気がしたのでお寺の納経所のみで使用することとした。

 北条市の中心部から郊外へ抜ける。次の目的地は『鎌大師』だ。鎌大師の由緒を下に記す。
『弘法大師が行脚の途次、この地に悪疫が流行していることを哀れんで、村人に鎌で刻んだ大師像をあたえたところ、無事平癒したので、その大師像を本尊としてこの地に堂を建て、「鎌大師」と呼んで深く信仰されてきたと言い伝えられる。』
 悪疫封じの御大師様。ということは昨今の御時勢、参拝者はたくさんいるだろう、境内にあるヘンロ小屋にあるノートをめくってみると案の定『新型コロナ退散』などの文面が踊っていた。
 ちなみにこのヘンロ小屋は野宿禁止である。野宿はしないが雨が弱くなるまで遍路小屋で座っていた。
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 雨が弱まってきた。さてそろそろ出発である。
 来た道を戻って幕営予定地の『道の駅風和里(ふわり)』へ向かおうとしたがどうやら横道があるらしい。住宅地の間を抜けて海岸沿いに出る。海岸沿いを道の駅に向かう。なぜか沖縄のブルーシールアイスの店舗がある。購入はしなかった。ブルーシールアイスを見送ってさらに進むと道の駅に到着だ。


【道の駅風和里】
 道の駅は年末年始で休業中だ。休業中だが駐車場は車がいっぱい。観光客もたくさんいる。バイカーも集合しているし、キャンピングカーは4台もある。
 そしてこの書き入れ時を逃すものかと営業している店舗、というかキッチンカーが駐車場に2台ある。ひとつはラーメンでひとつはコーヒーだ。さすがに繁盛している。さらに奥に行くと道の駅が休業中のさなか、アイスクリーム屋だけが経営している。さすがにこの時期にアイスクリームは売れないようで売れ行きはふるわないようだ。

 アイスクリーム屋の手前が飲食スペースになっている。屋根があって、ごみ箱、椅子、机がそろっていて幕営には便利だ。さらに人があまり来ない。トイレの導線からも離れている。幕営好適地だ。今日はここにテントを張ろうとソフトクリームをなめながら即決した。

 ベンチに重たいザックを置いて夕日見物にでかける。道の駅から道路をはさんで向いは海だ。西に展望が開けている。風が強くて寒いので壁があるところに腰かけて、サングラスをかけて落ちていく夕日を観察した。

 夕日観察を終えて夕食である。さきほど目を付けたベンチでおでんをあたためて汁にうどんを漬ける。うまい。温かい飯が胃袋にしみる。この道の駅はごみを外から持ち込んでもOKのようだ。非常にありがたい。
 寝る前のストレッチをすまし、明日以降3日くらいの旅程を地図をにらみにらみ確認して眠りについた。
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【歩いた距離、歩数】
28.86km 41,949歩

【使ったお金】
ごはん 1,724円
お賽銭 1円
ビタミン剤 1,780円

三十三日目
2020.12.28(月)
行程:別格八番十夜ヶ橋→道の駅内子フレッシュパークからり→道の駅小田の郷せせらぎ



 起床。予想はしていたがテントの中もシュラフもじっとり濡れている。川沿いだから仕方ない。
 クッカーでうどんを煮る。コンビニの肉じゃがを放り込んで肉じゃがうどんにする。
 十夜ヶ橋の納経所がひらくのは7時だ。毎朝4時起きの私は手持ち無沙汰。鯉をぼーっと眺めてから十夜ヶ橋通夜堂隣のトイレへ行く。トイレは水洗ではないし臭うしあまり良い場所ではなかった。もちろん使わせてもらえるだけでありがたい。
 隣の通夜堂には電気が点いている。覗いてみると白衣に菅笠姿の男性が一人、通夜堂内のお大師像に一礼している。外にはわらじがある。本格的なお遍路装備だ。もう出発するのだろうか。だとしたらこれから先彼に再会することはないだろう。
 セブンイレブンへ行く。道路を渡ったところでトイレの電気を消し忘れたことに気が付いた。コンビニから戻るときに消すことにする。
 セブンイレブンにて生まれて初めてコンビニのコーヒーをいただく。うまい。100円でこの味なのか。なぜ今まで130円も出してクソ不味い自販機の缶コーヒーなど飲んでいたのだろう。

 コーヒーを飲み終えてテントへ戻る。通夜道を見てみると電気が消えている。先ほどのお遍路さんは出発したのだろう。横のトイレを見てみるとこちらも電気が消えている。先ほどのお遍路さんが消してくれたのかもしれない。ありがとうございます。ほんとは直接お礼とお詫びを入れておきたいところだが、それは叶わない。心の中で礼と詫びをする。

 十夜ヶ橋に戻ってくる。まだ薄暗い。それでも参拝者はやってくる。
 テントを畳んで7:00。納経所でインターホンを押して珠をいただく。7:30、出発である。


【内子町の中心地へ】
 もう年末。だいぶ寒い。午前中はレインウェアと厚手の手袋が欠かせない。
 国道56号沿いに歩き新谷(にいや)集落で脇道を進みまた国道に合流し五十崎(いかざき)の駅近くで遍路看板に導かれ脇道へ入る。やがて遍路道は野球場横に出てくる。この近くにある『願成寺』は番外霊場だ。参拝はパスする。歩き疲れているのだ。願成寺の下には『駄馬池』という池があり、弘法大師ゆかりの『思案の堂』がある。池にはコクチョウがたたずんでいた。

 看板に導かれJR内子駅横の線路を渡り内子町に入る。ここは観光地らしい。江戸時代にひらかれた商店街で、かつては『六日市村』あるいは『内の子村』とよばれた。小田川流域で生産される大洲和紙の集散地として問屋が並び、店舗が軒を連ね、特に木蝋で栄えた明治時代は県下で有数の町に発展した。近くには大正5年に建てられた歌舞伎劇場『内子座』があり昔をしのばせる町並みが残る。町中にあるあずまやで腰かけおにぎりを食べる。民家は多いがおそらくこのあたりも野宿適地だ。
 昔の町並みを通り過ぎ国道を横断すると『道の駅内子フレッシュパークからり』にたどり着く。

 道の駅売店は正月飾りを求める人々でにぎわう。私もテントに注連縄をぶらさげたら面白いかもしれない。そう考え、稲わらを直径10センチほどの円形に編み直径2センチほどのみかんを一つつけた正月飾りを購入する。
 売店にはほかにも地元の野菜、果物、総菜、パン、お菓子、などなどが並ぶ。ここで見た姿寿司は酢飯ではなく酢おからだった。
 レストランはまだ営業していなかったのでテイクアウトのハンバーガーを求める。甘味噌をからめた豚肉は実にうまかった。一休みして発とうとすると女性に声をかけられる。
「お遍路さん?これ、あげるわ」
 そう言ってさっそうと立ち去る。女性は私にメロンパンをくださった。ありがとうございます助かります嬉しいですと謝辞を述べて先へ進む。


【内子町集落へ】
 国道379沿いに東へ進む。二泊まで可能な『お遍路無料宿』、当分の間宿泊不可能な『千人宿大師堂』、筏流し祭が行われる川、バス停兼お遍路休憩所、などを見ながら歩いて行く。お遍路休憩所には住民の川柳が飾られている。
 『原発反対 オール電化の 家に住み』
 センスあふれる。
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 遍路道の看板が脇道を指している。人にあいさつしながら歩くことを面倒に感じ始めていたので人に出会うことを避けるために国道沿いを歩こうとする。その前に水を買おうと自販機に立ち寄る。すると向かいのあずまやに座る男性が声をかけてくる。
 「国道行くよりなあ、こっちの道のほうが、ちょーっとばかし短いで。こんなかんじの休憩所もいくつかあってなあ。たまにお遍路さん寝てるわ。夏になるとなあ、その辺の川で水浴びして、それから寝てるねんなあ」
 そう言って笑っている。
 道を教えてくれた礼を言って正直に遍路道を進む。結果的には遍路道の方が歩きやすかった。国道はアップダウンが無駄に激しく歩き疲れた体には辛そうだった。

 のちのち徳島県眉山ロープウェイの横で『おへんろ。』を熟読する機会があった。おへんろ。によると内子町はどぶろく特区らしく、この辺りの集落ではどぶろくをつくっているらしい。休憩所ではお遍路さんにふるまわれることもあるんだそうな。ああ、飲みたかったなあ……。 

 どぶろく特区集落を抜けて人家がみえなくなったころに東屋が見えた。車道沿いに砂利を敷き詰めた区画があり、自転車置き場がある。コンクリートの礎石の上に東屋が建っており、中のは机といすがある。できてまだ日が浅そうだ。
 東屋の壁にタオルをかけて干す。とても日当たりが良くてぽかぽかする。
 そうだ、と思い付きザックを下ろしシュラフを取り出す。シュラフをひろげ、太陽の光に充てる。しばらく休憩しつつ乾燥することとする。自分の体も日光に当てる。15分ほど乾燥休憩をとって先へ進む。


【小田町で幕営する】
 内子町から小田町へ入る。ここで遍路道は別れる。四十四番札所『大宝寺』に行くまでにどんな道を進むかで行く方向は変わる。
 『農祖峠(のうそのとう)』経由ならば右へ。『鴇田峠(ひわたとうげ)』経由なら左だ。
 私はといえば。昨日車道で、テントの中で、うんうんうなって決めたルートは農祖峠経由だ。ちなみに向かうのは大宝寺ではなく、四十五番札所『岩屋寺』だ。

 そして幕営地『道の駅小田の郷せせらぎ』に到着する。
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 せせらぎの名に恥じず川の音がずっと聞こえる。川からふきあがる風は冷たい。
 売店に入る。ぐるり回ってみるがめぼしいものはない。
 川沿いのベンチにザックを置いて徒歩10分ほどのAコープへ買い出しへ行く。
 農祖峠経由岩や寺、その道には店舗が一切ない。今夜から明後日朝までのことを考え6食分ほどの飯を購入し道の駅に戻る。ポテトチップスをかじり炭酸ジュースを飲む。おなかがゆるんででっかいうんこが出る。

 暗くなるのを待つ。川沿いのベンチでガイドブックを見て明日明後日の道を再考する。すると
「お遍路さんですか?」と眼鏡をかけた男性に声をかけられた。
「○○(何て言ってたか忘れた)の友達?」と尋ねられる。
 違いますと答えると、ああ、ごめんなさい、あなたみたいなお遍路さんを待っていたもので、と言って帰っていった。
 再び寒さに耐えながら暗くなるのを待つ。携帯でお遍路日記をつける(まだ二日目の日記だ)。歩き遍路さんがやってきて閉店した売店の前に座った。
 暗くなる。歩き遍路さんもこの道の駅に泊まるのだろうか。
 しばらくすると先ほど私に声をかけてきた男性が道の駅の事務室からやってきて歩き遍路さんを連れて行く。歩き遍路さんが座っていた場所に手袋が放置されており、私はお遍路さんに「忘れてますよ」と拾って渡す。
 眼鏡の男性に、寒いけれど大丈夫ですか?慣れてますか?と聞かれる。とっさに大丈夫ですと答えたがここで大丈夫じゃないですと答えたらもしかして男性の家に泊めてもらえたのかもしれない。
 二人を見送ってまたベンチに戻る。

 そしてテントを建てる。場所は悩みに悩んで自転車置き場、植木の横に建てた。
 ほんとは屋根がある場所が好ましいのだが、屋根がある場所は駐車場から目立つしトイレまでの導線上になる。結果的にはこの場所は間違いだった。売店前に建てるかEV電気スタンドがある側の建物の下に建てればよかった。

 夜もクッカーでうどんを炊く。かきあげを乗せてお惣菜をいただく。
 向かいの内子町自治センターの敷地ではクリスマス風のライトアップがぴかぴかと輝いていた。


歩いた距離、歩数
33.43km 48,556歩

つかったお金
ごはん 3,010円
お賽銭 50円
珠   300円
注連縄 200円

二十八日目
2020.12.23(水)
行程:道の駅津島→満願寺→馬目木大師→鯨大師→道の駅きさいや広場



【南予遍路道の要、満願寺】
 朝飯はクッカーでつくった袋ラーメン。今朝はベーコンをつっこんだ。袋カット野菜を食べて今日の野菜摂取は完了。
 6:15出発である。暗い中県道4号を北上する。右手にはカッコいい篠山の姿が見える。あそこにも遍路道があるのだ。いつか行きたいが夏場にお遍路はご免被るので一生行く機会はないだろう。

 県道4号を北上し丁字路に行きつくと目の前に満願寺は現れた。
 満願寺。ここは南予遍路道のかなめとされる。篠山道も中道も灘道、どの道を選んでも満願寺を通過していたからだ。しかし中道に関しては前述のとおり宇和島班通行を禁止された。しかも篠山道、灘道を歩くお遍路までも満願寺への巡拝を禁止されてしまった。しかし空海創建の満願寺を巡拝できないのは問題とされ、篠山道、灘道を通るお遍路はほどなく満願寺を巡拝することを許された。それほどに重要な寺と考えられてきた。
 今現在。八十八か所お遍路では満願寺の存在すら知らないお遍路さんが多数だろう。番外札所に興味を持って巡礼するお遍路さんは少ないのだ。八十八か所お遍路生みの親である真念が著書の売り上げをつぎ込んで復興を図った寺だというのに、ちょっと寂しい。


【野井坂越え】
 北へ向かう。
 7:30は小学生の通学時間だ。通学途中の小学生たち、通学路に立つ教員たちに挨拶をしつつ野井川ぞいに県道46号を進んでいく。どんどん集落の奥へ、田舎ゾーンへ入っていく。
 道路両脇の田んぼには稲が伸びる。稲刈後の短く残った稲が再度伸びているのだ。穂先に米粒をつけて垂れている様は二期作ができそうなくらいである。
 農村風景を楽しみながら歩を進める。
 遍路道の看板にそって歩いて行くと道はなんと川を指した。渡渉するようだ……。本当に先に道が続いているのだろうか?まあ、道が無くなったら引き返せばいいだけだ。
 看板に沿って獣道へ歩きだす。道はちゃんと続いており、車道に合流したり山道に入ったりしながら歩いて行く。何度目かの車道合流。そして山道を指す看板。『この先遍路道途中に倒木が多数あります。』の文字。望むところだ。道に迷ったら面白そうな方へ!である。
 ガイドブックには載っていない道だが入ってみる。木々にはお馴染み白地に赤の『遍路道』札がかかる。この札がかかっているうちは道は間違っていないだ。山道をえっちらのぼっていくとプラカードが木に吊ってある。『通行不能×今は通れます』と書いてある。先へ進むと山の斜面をおびただしい数の倒木が埋め尽くしている。倒木で進めなくなった旧正規ルート横を新しく切り拓き迂回路が作成されていた。整備してくれた人に感謝だ。

 ここは『野井坂へんろ道』というそうだ。案内板がある。
 野井坂遍路道は土佐の宿毛と伊予の宇和島を結ぶかつての宿毛街道中道の重要区間だ。江戸初期には篠山道も灘道も満願寺で合流したのち野井坂を越えて宇和島へ向かった。

 どうやら”最も正しい”遍路道を私は歩いていたらしい。お大師様に呼ばれたということだろう。
 どんどん歩を進めると伐採地にたどり着く。木々が切り払われ展望のひらけた場所からは目指す宇和島の海が見えている。ネクストステージ!とつぶやきながら歩を進める。

 山を下りると高速道路の横に出てきた。高速道は16年前のガイドブックには載っていない。
 狭い歩道を歩いていく。カーブミラーに遍路道ステッカーが貼られている。久しぶりにお遍路ステッカーを見た。別格20霊場を示す青いステッカーだ。
 国道56号をがりがり進み宇和島市街地に入った。


【馬目木(まめき)大師・鯨大師】
 狭い路地の奥に入っていくと民家のすぐ横に四方一間くらいのお堂がある。
 『馬目木大師』だ。
 かつて四十番札所観自在寺の奥の院は九島という離れ島にあり船を使わないと参拝できなかった。海を渡って九島まで札を納めるのは不便なので空海は宇和島の船渡し場に遥拝所を設けた。遥拝所に馬目木(ウバメガシのこと)の枝を立て、枝に札を掛けるようにした。その馬目木が根付いて葉が繁るようになった。
 馬目木大師堂は離れ島にあった大師堂を移してきたもので、前述の馬目木にあやかって馬目木大師堂と呼ばれるようになったそうだ。今もウバメガシの木がうわっているそうだがどれがそれやらわからない。
 大師堂の前には『自由にお持ち帰りください』と書かれて銀杏の種が置いてある。荷物を増やしたくないので銀杏はもらわずに参拝だけした。

 ところで『馬目木大師』の説明に出てきた九島の大師堂であるが、実は現存する。
 長い間九島の大師堂は徒歩で行けない唯一の大師堂とされていたが、2016年に九島大橋が開通し、いまでは歩いて行ける大師堂になっているのだ。当然、行くことにする。

 自転車を楽しむ人たちに追い抜かれながら九島を目指す。工業団地めいた場所をぬけて海岸に出る。車道を歩いて行くと海の向こうに島、そして島へ渡る橋が見える。九島大橋だ。
 九島は観光地だ。中央に鳥屋が森という山がそびえる。海岸にはゴジラ岩、モスラ岩などユーモラスな名前の岩があり、二ホンカワウソが最後に発見された場所がある。島はぐるり一周することができ、チャリダーに人気の場所となっている。
 九島大橋を渡ると右へ。島を左回りに歩く。青色が眩しいイソヒヨドリを見つけてきゃっきゃつつ歩いて行く。しばらくすると『鯨大師』の道標が見えてくる。
 これが四十番札所観自在寺奥の院『鯨大師』である。ちなみに篠山神社も観自在寺の奥の院である。

 南国風の木々に囲まれた境内はしかし誰もいないようだ。大師堂の扉はかんぬきで固く閉ざされている。境内から振り返ると宇和島の海がよく見えた。実に雰囲気の良いところだ。

 参拝を終えて宇和島へ戻る。九島から宇和島を眺める。篠山を背負い海を前にし豊かな自然のなかにすっぽり入りこんだ市街地。山あり海あり島あり橋あり街あり。実に要素の多い風景である。
 九島大橋の街灯のてっぺんにはカモメが陣取る。
 宇和島郊外の急斜面には見事なみかん畑が広がる。
 吹いてくる風が暖かく今が冬であることを忘れさせる。
 実に、実に平和だ……。宇和島、とてもいい街だ……。
 

【道の駅みなとオアシスうわじま きさいや広場】
  めちゃめちゃでかい道の駅なのにテントを張る場所がみつからない。野宿不適だ。近くにマクドナルド(充電可能)、ローソン、コインランドリーなどがあり野宿を快適にするインフラは整っているというのに。
 道の駅に入っている店舗は豊富だ。なぜか北海道のロイズが入っており、チョコレートをもとめる人でにぎわっている。テイクアウトのチョコレートソフトクリームをいただくが味は期待外れだった。

 昼飯はマクドナルドに入店。味が濃いだけで旨さもクソもないマクドナルドのハンバーガーも、お遍路中はおいしく感じる。ゆっくり暇をつぶして道の駅に戻る。喫煙所付近でゆっくり日記をつけようとベンチに腰を下ろすと、女性に声をかけられた。かつてお遍路したり山歩きしたりしていたが今は大病を患い大手術をして、歩けないほどに弱りもう死にたいと思ったが、医師に叱咤激励され、リハビリがわりに毎日、家と道の駅を往復しているのだそうだ。ザックを背負う若者を見ると懐かしくなって声をかけるのだという。まだ先へ進むだろうから。引き留めて悪かったね。などと言われてしまうと、いや、道の駅で時間をつぶしてるだけです……などとは言えない。

 なんやかんやで暗くなるまで待って、店舗が閉まるころにテントを張る。
 場所は屋根付き広場のレストラン裏物置横。ここくらいしかテントを張れそうな場所がなかった。
 道の駅に隣接する回転ずし屋へむかう家族連れの目線を感じる。お遍路さんだから許してくれと思いながら眠りについた。


歩いた距離、歩数
32.44km 47,103歩

つかったお金
ごはん 1,916円
お賽銭 5円

二十七日目
2020.12.22(火)
行程:あけぼの荘→佛眼院→四十番札所観自在寺→柳水大師→清水大師→道の駅津島



【一本松町から城辺町へ】
 クッカーで調理した袋ラーメンにローソンの豚トロをつっこむ。ローソンのひじき入りサラダを食う。ハサミで袋を切り開き内側にはりついたひじきを舐めとる。テントを畳んで朝6:00、出発である。
 ローソンまで戻り、遍路看板に従い札掛へ向かう。

 札掛(ふだかけ)。
 かつて篠山詣りをあきらめたお遍路たちは、篠山神社の第一鳥居の前に札を掛けて篠山神社を参拝したこととした。その名残として篠山神社の第一鳥居がある集落に札掛という地名が残っている。
 しかしなんとこの鳥居。遍路看板に従って歩いていると見ることができない。これは完全にルート配置ミスだろう。
 札掛集落内付近には上大道休憩所、とみた茶堂など野宿適地が続く。僧都川に出会い青果店の前を通る。店主に声をかけられみかんを二ついただく。「二つしかなくて悪いけど……」「いやいや、十分です。めっちゃありがたいです。」そんなやりとりをする。さらに進んで城辺町、町中に入る。「観自在寺はあっちやで!」とじいさんに声をかけられる。私が目指しているのは佛眼院なので道は間違っていないのだがお遍路は八十八か所だけと信じている人が世の中には多すぎる。いちいち説明する必要はないのでありがとうございます言って先へ進む。知らない土地で人に教えられた道を進むことはやめたほうがいい。経験則だ。
 入り組んだ狭い住宅地の道路を歩いていると佛眼院を見つけた。こけむした地面と四方二間の大師堂がある心地よいお寺だった。


【四十番札所】
 四十番札所『観自在寺』に到着。
 伊予最初の札所、一番札所霊山寺から最も遠い、四国遍路の裏関所だ。通しお遍路、折り返し地点に到達である。

 観自在寺から四十一番札所龍光寺に向かう道筋は三つある。『灘道』『中道』『篠山道』だ。四国遍路生みの親、真念が1687年に刊行した『四国遍路道指南』にも登場する道だ。
 江戸時代後期。宇和島藩は遍路の増加に伴い統制を強めた。1769年の触書で遍路の通行を灘道と篠山道に限った。それ以来、遍路道の利用は灘道に集中し、人家も多い灘道を中心に道路整備、トンネル開削などがされた結果、中道は昔の風情をとどめた歴史的文化的価値のある道として残ったそうだ。
 昨日登った篠山を越えるのが篠山道だ。人々が避けるのも理解できる。

 さて、では私はどの道を歩くのか?
 さすがにこの季節に篠山道を行くのは冬山装備がなければ厳しい。ではどこを進むのかといえば、灘道と中道の折衷を行くこととする。


【内海村から津島町へ】
 道の駅みしょうMICに立ち寄る。椅子一つない、ただ直売所があるだけのシンプルな道の駅だ。野宿には不適である。いろいろ魅力的なものが売っているが今日はまだまだ歩くのでおやつのもちを購入する。ホクホクである。
 道の駅を出て海沿いを北上する。国道56号ぞいに歩いて行くとだんだん海岸から離れていき車道は傾斜を増し峠越えとなる。峠から降りてくると内海村だ。内海村役場の横から山へ入っていくのだが、その前に一休みする。
 えひめ農協の駐車場にプレハブのお遍路休憩所がある。中にはお茶、コーヒー、おかしなどが用意されている。パンをかじりつつゆっくり休憩する。外に設置された簡易トイレを借り、ゴミ箱もありがたく使わせていただく。たっぷり利用させていただき、札と10円玉を置いて休憩所を出る。

 登山口目指して集落を歩いていると車が目の前に停まる。運転席の女性が窓を開けて、「お遍路、がんばってください!」と声をかけてくれる。「ありがとうございます!」すかさず笑顔を向ける。何気ないやり取りだけどすごくうれしい。

 集落を抜けて登山道へ入っていく。松尾峠ほど踏まれた道ではないが高知県によくある荒れた峠とは比較にならない歩きやすさだ。レインウェアを脱ぎつつ汗だくになりながら道をあがっていく。しばらく歩いているとあずまやが見えてきた。あずまやにはまだ12時だというのにテントが二つ立っている。そのうちの一つは松尾峠で出会った男性だった。
「また会いましたね」「もう幕営するんですね」「泊まるなら山の中が静かでいいですから。ここから先にもいくつかあずまやがあって幕営適地ですよ」など会話を交わす。別れを告げて先へ進む。

 遍路道の道すがらには説話などの説明看板が立つ。

『ゴメン木戸』
 明治時代に放牧されていた牛が宇和島方面へ迷い込まないように石畳が築かれていて木戸が設けられていてその前を通る人たちが「ごめんなし」と言って通行した場所

『接待松(別称ねぜり松)跡』
 足の不自由な人が箱車に乗り50人ほどの人に引っ張ってもらっていたところ、つむじ風が起こり大松が箱車を押しつぶすように倒れてきた。箱車から逃げ出そうとしたはずみで足の病が治った。また、この場所でお遍路さんに茶菓子の接待をしていた。

『女兵さん思案の石』
 女のような姿態をしていた、カツギ屋の兵次郎さん、人呼んで「女兵さん」がヤミ物資をかついで歩いていたら大入道が現れて男なら証拠を見せろと迫られて褌をぬいで一物を見せた場所。大入道は上には上があるのお、わしゃたまげたあと言って逃げて行った。

 などなど。
 ほかにも人をだます狸の話、幽霊がでてくる民家の話、性病の女性の話などが立っていた。

 峠からは宇和島方面の美しい眺望が開けている。山を下りて芳原川沿いに国道56号を進む。津島大橋を渡り40分ほど進むと今夜の幕営地、道の駅津島である。


【道の駅津島やすらぎの里】
 日はすっかり暮れてしまった。道の駅は閉店間際だがまだ残っている総菜を購入する。駐車場すみっこのバス駐車場横休憩所で食す。ヘンロ小屋と違ってまともに壁がある建物なので、強風もやり過ごせる。刺身とコロッケとまんじゅうをいただいた。とてもうまい。
 道の駅津島には温泉があるのだが、今は施設老朽化のため長期休業している。今日もお風呂に入れると喜んでいたのだがあてが外れた。

 さて、腹が満たされれば次は寝床の確保である。休憩所内に建ててもいいが、バスの乗降所も兼ねているかもしれないので休憩所を離れ、道の駅温泉前ベンチ奥にテントを張った。

 夜である。
 道の駅は営業終了なのになぜかたくさん車がやってくる。トイレ利用目的ではないらしい。車から降りてくるのは子連れの男女、家族連ればかりである。みな顔見知りのようだ。
 家族たちは道の駅奥の施設へ進んでいく。そこは太鼓を展示している施設である。しばらくすると、施設内から太鼓の音が聞こえだした。
 これは……とてもうるさい!!
 複数の太鼓が自分勝手にめいめい音を立てている。練習中なのだろう。せめてなにか楽曲をやってくれたらまだ聞くに耐えるのだが。そう思っていると太鼓たちは一度しーんと静まり返り、その後、一曲やりだした。すばらしい演奏である。
 20時頃。いったん太鼓は静まり、人々が外に出てくる。休憩時間らしい。私のテントのすぐ横を通り過ぎ、自動販売機で飲み物を購入している。
 明らかに不審テントではあるが、昨日と同じく、通報はされることはなかった。お遍路大国四国様様だ。テントにかけた『四国八十八所巡礼 南無大師遍照金剛』の輪袈裟も効果を発揮してくれているのだろう。
「お遍路さんだ。疲れてるのにかわいそうだねー」という声が聞こえる。
 こちらこそ迷惑をかけているのに労ってくれるなんてありがとうございますだ。

 しかし……こんなことならテントはバス駐車場横の休憩所に立てておけばよかった。
 22時。太鼓練習の人々は帰っていく。お騒がせして申し訳ありませんでした。そう思いながらもようやく静かになったことに安心しつつ眠りについた。


歩いた距離、歩数
43.60km 63,386歩

つかったお金
ごはん 2,630円
お賽銭 10円
薬局  1,734円(生理用ナプキンと馬油)

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