三十五日目 その1
2020.12.30(水)
行程:古岩屋バス停→四十四番大宝寺→四十六番浄瑠璃寺→四十七番八坂寺→別格九番文珠院→四十八番西林寺→杖ノ渕公園
【『人生』を真剣に考えるひと】
12/29夜。
雨は予報を外さずやってきた。真っ暗な中雨がざざと降っている。
その夜は古岩屋バス停内に幕営した。古岩屋バス停は広い。かつては乗車券発売所があったのだろう。ベンチは30人は座れそうだし、テントも3つは張れそうだ。トイレと自販機もすぐ横にあり便利だ。おまけに隣は温泉だ。ここで野宿するお遍路は多いだろう。
夕飯のカレーうどんと福神漬けを食って寝る前のストレッチをしていると「こんばんは!」と声をかけられた。すわ、警察の職質だろうか?「こんばんは!」と返してテントから体を出す。
「一晩ご一緒していいですか?」白衣に菅笠、手には金剛杖。お遍路さんだった。
「どうぞどうぞ!……ずいぶん遅いですね」「そこの温泉に行ってたんですよ」「なるほど、私も行きました」「僕、こっちの方で寝るんで」「あ、そこに電気のスイッチありますんで点けてくださいよ」「いやいや、いいです、このくらいの光量で」
ランタンの光の下、彼は寝床をつくりはじめた。彼の寝床はテントではない。テントなし野宿オンリーで旅をしている。
その理由はすぐにわかった。
「僕、こういうことやってるんですよ」彼はリュックにつけている看板を見せてくれた。
『コーヒー点てます』
お接待をしてくれた人、コーヒー飲ませて!と言ってきた人にコーヒーを点てて歩き遍路をしているのだ。せっかく出会ったのだからお茶でもして1時間くらいお話ししていきませんか?ということだ。そうやって出会った人とお話をしているから、毎日どれだけ進めるかわからないので野宿が都合がいい、とのこと。
「だから明日の朝、コーヒーいれさせてくださいね」
願ってもない話である。
そして朝である。テントを片付けている傍らで彼はコーヒーの準備を始めた。
バス停内のベンチの上に藍染めのふろしきを広げる。お湯は南部鉄器の急須でわかす。コーヒーを注ぐ器は湯飲み茶碗だ。ほかにもコンロ、豆を炒る道具、各種豆……コーヒー用品だけで4kgはありそうだ。そりゃあテントを持つ余裕はない。おまけに彼の足元はわらじだ。茶を入れて歩く人、茶人だから履物はわらじだろう。という発想によりそのいでたちで旅をしている。だから荷物が重たいと足へのダメージがひどく、20km歩くだけでもキツいそうだ。
彼は学校卒業後、一度も就職ということをしたことがない。彼についての詳しいことは『フリーコーヒー』でググれば一発で出てくるのでそちらで参照していただければいいと思う。彼は自転車でアラスカやら砂漠やらを走っていたそうだ。海外では旅先から日本の学校へリモート授業を行ったり、スポンサーをつけたりして日銭を稼いでいたらしい。著書があるかと聞いてみたら、本のオファーは来んねえ……とつぶやいた。
海外自転車旅から国内旅にシフトしたのは強盗に二度出会ったことがきっかけ。海外で無一文になりパスポートも盗られたがその時はネットの仲間や旅先の人にお世話になり助かった。助かったが、結局お金がなければ何もできないのだろうか?お金の可能性に限界を感じ、帰国後、
お金がなかったら生きていけないのか?現代は人とのつながりが希薄だ、助け合いの精神も希薄だというが、それは人の心が変わったのではなくて人とつながる場が無いだけなのではないか?では、場を提供すれば人とのつながりができて助け合いもできるのでは?よし、実験しよう。
と考え、コーヒーセットのみを持って無一文で旅に出たそうだ。
街の一角にふろしきをひろげ、『コーヒー点てます、お返しはなんでもいいです』と看板をたてていた。次第に人がやってきてコーヒー片手にお話をする。そのうち『お返し』がたくさんありすぎて食べきれなくなった。そこで、『お返し要らず』の『フリーコーヒー』に転向する。完全に無料無償でコーヒーをふるまうのだ。そしたらそれはそれで、コーヒー飲みながら無一文で旅してるんです~なんて話をしていると、じゃあこれで何か食えよ、とお金をくれる人がいたり、これ食えよ、と食べ物をくれる人もいたりして、世の中お金なんてなくても人とのつながりだけでやっていける、そして、人とのつながりが希薄というのは人の心が変わったからではなく、環境が変わっただけなのだ、と確信した。
その延長にこのフリーコーヒーお遍路がある。
「……うまい……」
この日いただいたコーヒーはお遍路ブレンド。四国の知り合いのカフェの方にブレンドしてもらった豆だそうだ。
しっかりとしたコクと酸味と少な目の苦み。厚みのある味。
己がなにをすべきなのか、なぜ生まれてきて何を世界に求められていてそして自分は何をしたいのか。『人生』について真剣に向き合って、常に頭を動かしている人間が点てるコーヒーは、偽物ではないごまかしのない、ちゃんとしたコーヒーの味がした。
雨がやんできた。外も明るくなってきた。
茶人は四十五番札所の岩屋寺へ向かう。私は四十四番札所の大宝寺へ向かう。ここでお別れだ。
「また会いましょう!」
名刺をいただいてこちらはお札を渡し、互いに違う道を進んだ。
ちなみだが彼、十夜が橋で通夜堂にとまってた人であり、小田せせらぎの里で手袋を拾った人でもある。もう一度くらいお遍路で会うかと思ったが、いかんせん私が寄り道しすぎてて会うことはなかった。
【ひとのことを真剣に心配できるひと】
やんできたかと思えた雨はまだ強くなってきた。大宝寺に参拝し、寺を辞する。
国道33号を北進する。再び小降りになってきた雨は雪に変わりつつある。風がびうびうと顔をなぐり、ときおりあられがぴちぴちと頬を叩く。痛い。
それでも私の装備はいうて山用である。ゴアテックスである。これくらいの天候で泣き言をいう理由も歩くことをやめる理由も皆無である。
ガシガシ歩いていると「お遍路さーん!」と声をかけられた。声のするほうを見ると道端に白いワゴンが止まっている。運転手が声の主だ。
車が来ないことを左右確認すると道路を渡りワゴンに駆け寄る。
「お遍路さん、パン食べませんか?!」「いただきます!!」ノータイムで返事をした。
「一回通り過ぎたんだけどね、見てみたら女性だしまだ若いし……それに雨も降ってるし。かわいそうになって、また戻ってきたの!」と言う。わざわざありがとうございます。
運転手、女性は車を降りるとトランクを開ける。そこには紙袋が並んでいる。
「甘いのと日持ちするのとどっちがいい??」「えー甘いので!」またもやノータイムで返事をした。
「甘いのかー……」そう言って彼女は紙袋にいろんなパンをつめこんでいく。
「カレーパンとクリームパンがすっごいおいしいのよ……。ここ、私のすっごい好きなパン屋さんで」
「ああ、パンがたくさんあるからパン屋さんかと思いました!」
「あはは、違う違う。みんなで食べる予定だったから、たくさん買ってきたの!私の好きなものばっかりだけどね」
「好きなものなのに、もらっちゃっていいんですか?しかもこんなに……」
「いいのいいの!」
「みんなで食べる予定だったのに……私が最初にもらっちゃいましたね」
「ほんとだねー!」
クリームパン、カレーパン、ベーコンエピ、なんかでっかいの(カンパーニュっていうのかな?)、メロンパン……これもう全種類くれたんじゃないかというラインナップだ。四国の人、サービス精神が旺盛すぎる。
「!あ、これもおいしいから!!」
ついでにポテトチップスまでいただいた。
「え、こんなに……」
「ポテトチップス嫌い?」
「いえ、大好きです!!」
お接待は断ってはいけない原則に従って遠慮なくいただく。ちなみに遠慮するとだいたい怪訝な顔をされるので、もらえるものは気持ちよくいただいたほうが良い。
たくさんのパンをいただき感謝し彼女と別れた。
ワゴン車を見送り歩き出すとにわかに雪が強くなってきた。
吹雪はメガネのレンズに積もる。手にしたパンの袋が濡れて破れそうだ。
道路沿いのお遍路休憩所で荷物を整理する。若い男性のお遍路さんが休憩所にいた。ろくなレインウェアもなくて南無大師遍照金剛と書かれた質素なポンチョを着ている。この装備ではここから三坂峠越えは山慣れしていないとしんどいだろう。
雪降ってきましたねえ、と声をかけ、先ほどいただいたメロンパンをおすそわけする。お遍路さんからお接待をもらうなんて……と彼は恐縮していたが、いっぱいあるのに一個しかおすそわけしない私はかなりケチだな、と自分では評価した。
雪はどんどん積もる。国道も景色は灰色だ。
看板に従って三坂峠に入る。三坂峠は心霊スポットとして有名だ。とはいえ周辺には人家がたくさんある。この場所を心霊スポットと呼ぶのは住民に失礼だろう。
おそらく心霊スポットなのは国道上だけであり、走り屋たちがつくった噂話だろうと思う。ガチの心霊スポットではないだろう。ガチスポットは足摺岬くらいである。
雪が降り始めて10分も経っていないだろう、しかし地面はすでに真っ白だ。びょうびょうと風が下から吹いてくる。しかしこれを下ればもう大した場所もあるまいとガシガシ下る。雪と風を除けば山道としては大して険しい道でもない。雪から逃げるように高速で山道を駆け降りた。
2020.12.30(水)
行程:古岩屋バス停→四十四番大宝寺→四十六番浄瑠璃寺→四十七番八坂寺→別格九番文珠院→四十八番西林寺→杖ノ渕公園
【『人生』を真剣に考えるひと】
12/29夜。
雨は予報を外さずやってきた。真っ暗な中雨がざざと降っている。
その夜は古岩屋バス停内に幕営した。古岩屋バス停は広い。かつては乗車券発売所があったのだろう。ベンチは30人は座れそうだし、テントも3つは張れそうだ。トイレと自販機もすぐ横にあり便利だ。おまけに隣は温泉だ。ここで野宿するお遍路は多いだろう。
夕飯のカレーうどんと福神漬けを食って寝る前のストレッチをしていると「こんばんは!」と声をかけられた。すわ、警察の職質だろうか?「こんばんは!」と返してテントから体を出す。
「一晩ご一緒していいですか?」白衣に菅笠、手には金剛杖。お遍路さんだった。
「どうぞどうぞ!……ずいぶん遅いですね」「そこの温泉に行ってたんですよ」「なるほど、私も行きました」「僕、こっちの方で寝るんで」「あ、そこに電気のスイッチありますんで点けてくださいよ」「いやいや、いいです、このくらいの光量で」
ランタンの光の下、彼は寝床をつくりはじめた。彼の寝床はテントではない。テントなし野宿オンリーで旅をしている。
その理由はすぐにわかった。
「僕、こういうことやってるんですよ」彼はリュックにつけている看板を見せてくれた。
『コーヒー点てます』
お接待をしてくれた人、コーヒー飲ませて!と言ってきた人にコーヒーを点てて歩き遍路をしているのだ。せっかく出会ったのだからお茶でもして1時間くらいお話ししていきませんか?ということだ。そうやって出会った人とお話をしているから、毎日どれだけ進めるかわからないので野宿が都合がいい、とのこと。
「だから明日の朝、コーヒーいれさせてくださいね」
願ってもない話である。
そして朝である。テントを片付けている傍らで彼はコーヒーの準備を始めた。
バス停内のベンチの上に藍染めのふろしきを広げる。お湯は南部鉄器の急須でわかす。コーヒーを注ぐ器は湯飲み茶碗だ。ほかにもコンロ、豆を炒る道具、各種豆……コーヒー用品だけで4kgはありそうだ。そりゃあテントを持つ余裕はない。おまけに彼の足元はわらじだ。茶を入れて歩く人、茶人だから履物はわらじだろう。という発想によりそのいでたちで旅をしている。だから荷物が重たいと足へのダメージがひどく、20km歩くだけでもキツいそうだ。
彼は学校卒業後、一度も就職ということをしたことがない。彼についての詳しいことは『フリーコーヒー』でググれば一発で出てくるのでそちらで参照していただければいいと思う。彼は自転車でアラスカやら砂漠やらを走っていたそうだ。海外では旅先から日本の学校へリモート授業を行ったり、スポンサーをつけたりして日銭を稼いでいたらしい。著書があるかと聞いてみたら、本のオファーは来んねえ……とつぶやいた。
海外自転車旅から国内旅にシフトしたのは強盗に二度出会ったことがきっかけ。海外で無一文になりパスポートも盗られたがその時はネットの仲間や旅先の人にお世話になり助かった。助かったが、結局お金がなければ何もできないのだろうか?お金の可能性に限界を感じ、帰国後、
お金がなかったら生きていけないのか?現代は人とのつながりが希薄だ、助け合いの精神も希薄だというが、それは人の心が変わったのではなくて人とつながる場が無いだけなのではないか?では、場を提供すれば人とのつながりができて助け合いもできるのでは?よし、実験しよう。
と考え、コーヒーセットのみを持って無一文で旅に出たそうだ。
街の一角にふろしきをひろげ、『コーヒー点てます、お返しはなんでもいいです』と看板をたてていた。次第に人がやってきてコーヒー片手にお話をする。そのうち『お返し』がたくさんありすぎて食べきれなくなった。そこで、『お返し要らず』の『フリーコーヒー』に転向する。完全に無料無償でコーヒーをふるまうのだ。そしたらそれはそれで、コーヒー飲みながら無一文で旅してるんです~なんて話をしていると、じゃあこれで何か食えよ、とお金をくれる人がいたり、これ食えよ、と食べ物をくれる人もいたりして、世の中お金なんてなくても人とのつながりだけでやっていける、そして、人とのつながりが希薄というのは人の心が変わったからではなく、環境が変わっただけなのだ、と確信した。
その延長にこのフリーコーヒーお遍路がある。
「……うまい……」
この日いただいたコーヒーはお遍路ブレンド。四国の知り合いのカフェの方にブレンドしてもらった豆だそうだ。
しっかりとしたコクと酸味と少な目の苦み。厚みのある味。
己がなにをすべきなのか、なぜ生まれてきて何を世界に求められていてそして自分は何をしたいのか。『人生』について真剣に向き合って、常に頭を動かしている人間が点てるコーヒーは、偽物ではないごまかしのない、ちゃんとしたコーヒーの味がした。
雨がやんできた。外も明るくなってきた。
茶人は四十五番札所の岩屋寺へ向かう。私は四十四番札所の大宝寺へ向かう。ここでお別れだ。
「また会いましょう!」
名刺をいただいてこちらはお札を渡し、互いに違う道を進んだ。
ちなみだが彼、十夜が橋で通夜堂にとまってた人であり、小田せせらぎの里で手袋を拾った人でもある。もう一度くらいお遍路で会うかと思ったが、いかんせん私が寄り道しすぎてて会うことはなかった。
【ひとのことを真剣に心配できるひと】
やんできたかと思えた雨はまだ強くなってきた。大宝寺に参拝し、寺を辞する。
国道33号を北進する。再び小降りになってきた雨は雪に変わりつつある。風がびうびうと顔をなぐり、ときおりあられがぴちぴちと頬を叩く。痛い。
それでも私の装備はいうて山用である。ゴアテックスである。これくらいの天候で泣き言をいう理由も歩くことをやめる理由も皆無である。
ガシガシ歩いていると「お遍路さーん!」と声をかけられた。声のするほうを見ると道端に白いワゴンが止まっている。運転手が声の主だ。
車が来ないことを左右確認すると道路を渡りワゴンに駆け寄る。
「お遍路さん、パン食べませんか?!」「いただきます!!」ノータイムで返事をした。
「一回通り過ぎたんだけどね、見てみたら女性だしまだ若いし……それに雨も降ってるし。かわいそうになって、また戻ってきたの!」と言う。わざわざありがとうございます。
運転手、女性は車を降りるとトランクを開ける。そこには紙袋が並んでいる。
「甘いのと日持ちするのとどっちがいい??」「えー甘いので!」またもやノータイムで返事をした。
「甘いのかー……」そう言って彼女は紙袋にいろんなパンをつめこんでいく。
「カレーパンとクリームパンがすっごいおいしいのよ……。ここ、私のすっごい好きなパン屋さんで」
「ああ、パンがたくさんあるからパン屋さんかと思いました!」
「あはは、違う違う。みんなで食べる予定だったから、たくさん買ってきたの!私の好きなものばっかりだけどね」
「好きなものなのに、もらっちゃっていいんですか?しかもこんなに……」
「いいのいいの!」
「みんなで食べる予定だったのに……私が最初にもらっちゃいましたね」
「ほんとだねー!」
クリームパン、カレーパン、ベーコンエピ、なんかでっかいの(カンパーニュっていうのかな?)、メロンパン……これもう全種類くれたんじゃないかというラインナップだ。四国の人、サービス精神が旺盛すぎる。
「!あ、これもおいしいから!!」
ついでにポテトチップスまでいただいた。
「え、こんなに……」
「ポテトチップス嫌い?」
「いえ、大好きです!!」
お接待は断ってはいけない原則に従って遠慮なくいただく。ちなみに遠慮するとだいたい怪訝な顔をされるので、もらえるものは気持ちよくいただいたほうが良い。
たくさんのパンをいただき感謝し彼女と別れた。
ワゴン車を見送り歩き出すとにわかに雪が強くなってきた。
吹雪はメガネのレンズに積もる。手にしたパンの袋が濡れて破れそうだ。
道路沿いのお遍路休憩所で荷物を整理する。若い男性のお遍路さんが休憩所にいた。ろくなレインウェアもなくて南無大師遍照金剛と書かれた質素なポンチョを着ている。この装備ではここから三坂峠越えは山慣れしていないとしんどいだろう。
雪降ってきましたねえ、と声をかけ、先ほどいただいたメロンパンをおすそわけする。お遍路さんからお接待をもらうなんて……と彼は恐縮していたが、いっぱいあるのに一個しかおすそわけしない私はかなりケチだな、と自分では評価した。
雪はどんどん積もる。国道も景色は灰色だ。
看板に従って三坂峠に入る。三坂峠は心霊スポットとして有名だ。とはいえ周辺には人家がたくさんある。この場所を心霊スポットと呼ぶのは住民に失礼だろう。
おそらく心霊スポットなのは国道上だけであり、走り屋たちがつくった噂話だろうと思う。ガチの心霊スポットではないだろう。ガチスポットは足摺岬くらいである。
雪が降り始めて10分も経っていないだろう、しかし地面はすでに真っ白だ。びょうびょうと風が下から吹いてくる。しかしこれを下ればもう大した場所もあるまいとガシガシ下る。雪と風を除けば山道としては大して険しい道でもない。雪から逃げるように高速で山道を駆け降りた。