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四十三日目
2021.1.7(木)
行程:
ホテルセントラル西条→番外札所十二番『延命寺』→遍路小屋しんきん庵秋桜



【本当に偉くてすごくてお大師様の教えを踏襲しているのは、お接待をする人です……】
 
昨晩うどん居酒屋で食べたくじらは実にうまかった。土地のものを食うのは実にいいものである。とくに愛媛は菓子類が豊富だ。しょうゆもち(ただし一六タルトのはおいしくない)となんだがとても固い焼き菓子が非常においしい。さて、6:20にホテルを出発する。
 東に行き山を越えれば徳島をはさんでいよいよ香川入りである。
 私が使っている地図(四国遍路ひとり歩き同行二人)は進行方向が右から左のページへ進むようになっており東西南北がころころ変わるのでいつも西に進んでいるような気分になっている。そして土地勘がないので脳内にある日本地図上のどこに自分がいるのかイマイチというかさっぱりわからない。なので今日も東ではなく西へむかって進んでいる感覚である。とはいえ太陽は進行方向からのぼってくる。やはり東なのである。
 この日記をつけている今現在はグーグルマップを参照できるので、「ああ、私こんなとこ歩いてたんだ」と理解できている。

 さて、国道11号を道なりに進む。空模様は怪しい。寒さも随分こたえてきた。レインウェアを着こむ。進む先々のコンビニに立ち寄る。腹が減ったらスイーツを何かしら買う。おかげで今年のコンビニスイーツには詳しくなった。
 コンビニは非常に便利だ。飯も食えるしトイレもあるし充電もできるしゴミも捨てられる。こんな便利なものが各地にあるのだからお遍路旅はなんとも気楽だ。
 さて、そうこうしているうちに厚ぼったい雲から水が降ってくる。ザックにレインカバーをかける。山々には雪がちらついているようだ。雨に濡れる道中も地図に従い国道を離れる。
 とぼとぼ進み、そろそろ腹が減ったなあという頃に『弘法の館』という建物が見えてきた。倉庫にペンキを塗ったような外見だ。今までもこのような建物は目にしてきた。おそらくお接待所というやつだ。平常ならお遍路さんを迎えるべく開いているのだろうが、今は感染症が猛威を振るっておるさなか。開いているところなど一か所しか出会っていない。ここもどうせ閉まっているのだろう……と扉を引いたところ、開いた。
 中は非常に美しく清掃されている。どこかのお宅の応接間かと見まがう様相だ。壁には一面、訪れた人が置いて行ったであろうお札が貼られており、中にはお礼のお手紙も貼られていた。清潔なベッドも用意されていたが基本的に宿泊はノーらしい。
 応接間には机といすが置かれており、机にはノートがある。目を通すと久万で出会ったコーヒー屋さんも今日ここを通過していったようだ。私が雪山でぐずぐずしている間にとっくに先に進んでいたらしい。
 さて、ザックをおろし電子レンジでおにぎりを温める。あたたかいものを食べられるのは単純にうれしい。先客に習い私もノートにお礼の言葉を添え札を置いて館を出た。つかの間の青空が見えた。
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【今日も風呂】
 先ほど分かれたはずの国道に再び舞い戻る。延命寺に到着したころには再び雨は気にならなくなったが風が強くなってきた。延命寺のあずまやにザックを置いて寺を訪問する。このあずまやも宿泊しようと思えばできないこともなさそうだ。しかし住宅地の近くというのは気を遣う。珠をいただき辞する。「これから三角寺と仙龍寺ですか、明日になさるんですか、雪だと坂怖いですものね」みたいな会話をした気がする。今から寺に行くとか坂で滑るとか会話内容が理解に苦しむあたり、おそらく車遍路だと思われていたのだろう。
 次に三福寺に行くつもりであったがいったいどこをどう見逃したのか、曲がるのを忘れて直進し通り過ぎてしまったためもう戻らず国道を東進した。時間的にまだまだ余裕はあるのだが次は山登りが控えているし寒いしそろそろ歩くのも飽きてきている。今日は山麓の伊予三島の町で一泊することとする。
 でかい道路のでかい歩道橋をあがり、見下ろした先にそのヘンロ小屋はあった。まるでバス停だ。ヘンロ小屋の周りは駐車場かバスの転回場にしか見えない。そしてやはり風がすごい。すっかり体が冷えてしまった。ザックをヘンロ小屋に放置して風呂へ行く。『湯あそび広場三島乃湯』というところだ。二日連続で風呂に入れるなんて幸せだ。ついでに充電もして飯も食う。今日は鍋焼きうどんだ。ほんとうに体があたたまる。

 すっかり暗くなりヘンロ小屋に帰ってテントを張ろうとする。……するとこんなに真っ暗なのに男性が一人やってきた。なんでもテント無しで遍路しているらしい。仕方なく小屋内を譲り私は外にテントを張る。ものすごい風に四苦八苦しながら張り終える。男性が「手伝いましょうか」と言ってくれているので甘えればよかったのだが、つい癖で「大丈夫です!」などと言ってしまう。人とかかわることを億劫がる引っ込み思案の性格はどうともならない。
 男性は小屋の中にマットをひろげて寝袋を構えなかなか居心地よさそうだ。私もなんとか我が家を建ててくつろぐことにする。

 さて、明日は三角寺と仙龍寺である。山の中を歩くようだがお遍路での山登りなど慣れたものである。ゆっくり体を休めて明日に備えることとする。
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【歩いた距離、歩数】
44.02km 64,238歩

【つかったお金】
ごはん 3,319円
お賽銭 1円
宿   2,755円
風呂  600円

四十二日目
2021.1.6(水)
行程:
六十一番『香園寺(こうおんじ)奥の院』→高鴨神社→六十二番『香園寺』→清楽寺→六十二番『宝寿寺』→芝の井→六十三番『吉祥寺』→石鎚神社→六十四番『前神寺(まがみじ)』→ホテルセントラル西条



【四国での再会】
 起床、今朝もラーメンとサラダを食べる。東屋の中に設てたテントを撤収。
 歩き出して1kmほど進み松山自動車道をくぐりぬけると大谷池に着く。池のほとりはきれいに整備されており、芝のはられた広場にはこれまたきれいなトイレと東屋があった。
 なんと!昨日あと10分ほど歩を進めていればちゃんと水が流れる綺麗なトイレに出会えたのだ。知らなかったものは仕方がない。先に進む。
 次の目的地である『香園寺』の裏側には『高鴨神社』がある。以下に神社の看板の記述を引用する。

『雄略天皇(5世紀)の時代、大和の国、南葛城郡にご鎮座の高鴨神社の御分霊をお迎えして祭ったのが始まりといわれています。霊峰石鎚山を開いた役の行者の氏神で、平安時代には伊予の国の官社となり、室町時代には周布郡の領主黒川氏、江戸時代には小松藩主一柳(ひとつやなぎ)氏が代々崇敬しました。嘉永元年、雨乞の霊験により天皇から正一位の神階を受けられました。』

 この記述に登場する『南葛城郡の高鴨神社』は私の生まれ故郷である奈良県御所市にある。鈴鹿宮司の娘さんとは中学校の同級生だ。
 カモといえば京都の下賀茂・上賀茂を思い浮かべる人が大多数だろう。そのカモ氏の出自は奈良県御所市なのだ。
 遠く愛媛の地に来て出会った高鴨神社。奈良県の歴史の深さと当時の政権の力に思いをはせながら神社を回る。


【六十一~六十三番札所】
 標高を下げて香園寺(こうおんじ)に至る。香園寺の姿かたちは八十八の中でも、いや、一般的な寺院建物のなかでも特異中の特異である。茶色い箱だ。遠くから見たらセレモニーホールか学校の体育館か市町村の公民館的な施設にしか見えない。
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 境内に人はいない。とりあえず禁止されてないようなので鐘を突く。茶色い箱の正面には賽銭を入れる場所があるがどうも御本尊の姿が見えない。ちゃんとお参りするには寺に入る必要があるようだ。
 入り口はどこだろう?きょろきょろしてみると建物の脇に階段をみつける。階段をあがった先には重厚なガラス扉が立ちふさがる。まるで百貨店だ。そごうの扉だ。鍵はかかっていないのでありがたく入らせてもらう。先は土足禁止になっている。スリッパが準備されているので靴を脱いで履き替える。建物内部はそれはもうセレモニーホールか映画館のよう。入って左手奥には椅子がずらりと並び、右側にはご本尊がいらっしゃる。御本尊はライトアップを受けて光り輝いている。参拝客はまだ皆無だ。
 いつものようにご本尊、お大師様とお参りをすませて建物を辞した。
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 次は清楽寺へ向かう。清楽寺は六十番横峰寺の前札であり元札だ。前札と元札の意味は今もよくわかっていないが、お大師さまゆかりの地としてかつてお遍路さんがお参りした場所、とでも理解しておけばいいだろう。
 国道11号をぬけてわかりにくい横道にそれてJR予讃線を渡ると清楽寺である。お遍路ビジネスをしていないお寺なので八十八の寺とは趣が異なる。いうなれば、どこの集落にでも一軒はありそうなたたずまいのお寺だ。たいがいのお遍路さんは立ち寄らずに通り過ぎてしまうだろう。お参りをすませて国道へ戻る。

 次は六十二番『宝寿寺』を目指す。このお寺は住職が参拝客に暴力をふるったということでいっとき八十八の寺から除外されていた話題のお寺だ。駅前にあるそれはこじんまりとしている。境内をのぞくと坊主が一人歩いていた。登山者が使っているような杖を一本づつ両手に持ち、ノルディックの要領で境内を歩き回っている。
 街中のお寺ということもあり鐘はつけないようなのでご本尊とお大師様への参拝のみとする。経を読み終わり振り返ると先ほどまで歩きまわっていた住職の姿は消えている。境内を見まわしてみると、社務所のガラス戸の向こうに姿が見えた。どうやら参拝客たる私が来たのでご朱印の準備をしているらしい。すまないが私はスタンプなど欲しくない。坊主を横目にさっさと寺を辞した。
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 六十三番の吉祥寺に行く前に奥の院とされている芝の井に立ち寄る。石で四角に成形された浅い水場にお大師様が立っている。低層住宅地のどまんなかなので経も上げずに一礼して先に進む。
 国道に戻り六十三番吉祥寺に到着。ここは禁止されていないので堂々と鐘を二回突く。吉祥というだけあってご本尊は毘沙門天だ。毘沙門天を祀るのは八十八の寺の中では唯一吉祥時のみである。ちょっとほほをにやけさせつつ『オンベイシラマンダヤソワカ』を唱える。
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 さて、次の目的地は六十四番前神寺(まがみじ)だ。国道11号をそれて国道と南に並行する遍路道を歩く。国道11号は車が多い上に歩道は狭い。歩きであれば遍路道を通るのが安全だ。
 前神寺を目指して東へ進んでいると大きな鳥居が目に入った。額束を見てみるとどうやら石鎚神社らしい。石鎚といえば西日本最高の標高を誇る霊峰であり天狗の棲家である。そんな石鎚神社が私の興味を惹かないわけがない。今日の予定に入ってはいなかったが急遽石鎚神社に立ち寄ることにした。

【石鎚神社・六十四番前神寺】
 国道をそれて坂を登っていく。通常の神社なら随神、お寺なら金剛力士像が鎮座している場所には鼻高天狗がいる。天狗様の隣、門の横にリュックと杖を放置して神社の階段を登っていく。初詣、といったところだろうか。参拝客は多い。境内にはとうもろこしの屋台もある。屋台にはりつけられた紙にはゆっくり霊夢とゆっくり魔理沙がいたので思わず携帯で写真を撮ってしまった。
 階段を登り詰めた拝殿前の広場からは愛媛の平野と瀬戸内海、そして海を挟んで遠くには山が見える。山の正体は瀬戸内海に浮かぶ島々だろう。境内の敷地は広い。御大師様像、石鎚山遥拝所、役行者像などを拝してゆっくり堪能し、社務所で煮詰まったものすごく苦いコーヒーをいただく。神社を辞する。
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 さて、六十四番前神寺(まがみじ)は石鎚神社からそう遠くない。こちらは石鎚神社と比べて人がまばらだ。人より猿の方が多いくらいだ。境内の真ん中にどかんと立つ門松が悲しい。しかし賽銭はすでにしっかりもらっているらしく、トイレの横に小銭がたくさん積まれていた。

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 今日はホテル泊である。
 伊予西条駅前の西条セントラルホテルに宿をとっている。まだ時間は早いが宿をとってしまったので今日の進捗はここまでとしてチェックインする。さっそくシャワーを使うがいつまでたっても温かくならない。仕方ないので近場の日帰り温泉に行った。
 そして飲酒も今年は解禁なので夜は居酒屋なのである。西条のうまいものを食おうと思う。

【歩いた距離、歩数】
18,721km 27,138歩

【つかったお金】
ごはん 953円
酒   160円
お賽銭 302円
宿   2,755円
洗濯  300円
風呂  620円
居酒屋 4,190円


石鎚
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四十一日目
2021.1.5(火)
行程:
丹原総合公園→別格十番『興隆寺』→久妙寺→六十番『横峰寺』→星ノ森→六十一番『香園寺(こうおんじ)奥の院』


 ラーメンをすすりごぼうサラダを食う。まだ暗い中テントを片付ける。
 公園にはまた戻ってくるのでザックを放置したまま北へ進む。番外霊場の久妙寺(くみょうじ)が見えてくる。
 久妙寺には閻魔像がある。閻魔像はしっかり写真を撮りたいので久妙寺は明るくなってから参拝することとし、まずは別格十番『興隆寺』を目指す。
 車道を進み民家の間を抜ける。まだ暗いけれど民家の前では女性がふたり会話している。おはようございます、と言って横を歩いて行く。「お遍路さん?こんなところに?」「ほら、この上、お寺さんあるやろ」「へえー」そんな会話を背中で聞く。
 墓地の間を歩いていると犬の散歩をしている男性に出会う。あいさつをしてさらに登る。
 道路両脇に広い駐車場が見え、橋を渡ると苔むした森の中にすっと石畳の道が一本伸びているのが見える。静謐な森。雰囲気がある。美しい。番外霊場でなくてもこんないい感じの場所があるのかと驚いた。
 石段を登り終えると境内が見える。大師堂を見上げると人の背丈ほどの幅のある天狗面がどんとかざられている。私は天狗と閻魔の近くで寝ていたのか。いやおうなくテンションが上がる。
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 本堂、大師堂と参拝し納経所へ向かう。珠をいただく。「歩き遍路さん?ちょっと待ってな」と言って納経所の女性は大師堂へ向かう。出てきた女性の手にはみかんとタオル。そういえばここは今治市だった。ありがたくいただく。
 静謐で美しい森を再びぬけて墓地を降りていく。すると目の前には白く雪をかぶった平らな山岳が遠くに見えてくる。あれは……間違いない。一目でわかる。石鎚山である。西日本最大の標高を誇る霊峰が目の前に現れた。美しい山に見惚れながら高度を下げる。さて、ここからはお待ちかねの久妙寺である。
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 久妙寺閻魔堂。説明板にはこう書かれている。『閻魔大王尊像は四国でも数か寺しかなく、非常に珍しい尊像である。』なるほど確かにここまで閻魔像をお目にかけることはなかった。珍しい閻魔像をしっかり目に焼き付けよう。……と、この時は思った。この文章が嘘であることはこの先々で明らかになる。

 久妙寺を辞して荷物を回収し県道147号を南下していく。中山川を渡る手前で目の前に車がとまる。「お遍路さん、どうぞ、これ」車の窓から顔を出した男性は私に缶ミルクティーを渡した。「おつかれさん、がんばってね」車はさっそうと走っていく。感謝しつつ歩いて行く。

 今日の行程で出会える最後の商店であるファミリーマートにたどりつく。ファミリーマートのイートインには『お遍路さんのお荷物一時保管致します』とでかでかと表記してある。

 買い出しを終えて六十番『横峯寺』へ、アスファルトの車道を高度を上げていく。
 2km……5km……黙々と高度を上げていく。
 背後から車がやってくる。「お遍路さん、がんばって。はい、これ」飴玉を2個いただく。車は私をぬいて走っていく。しばらくするとまた同じ車が帰ってきて、「お遍路さん、この上にな、トイレとあずまやあって、あと水場あるから。そこの水飲めるからね!がんばって!」そして颯爽と走り去っていった。
 車道を登り詰めると東屋、駐車場、水場、トイレがある。東屋にノートがありめくってみる。『~~区切り打ちで明日帰るので今日は仙遊寺からここまで来ました。まっくらな中歩いてきました。~~神奈川県るんぺん』
 ああ、あの人だ……。るんぺんさんっていうんだ。と、この時は思ったのだが、帰宅後に調べてみたらるんぺんというのは一般名詞だった。いわば歩き遍路は全員るんぺんだ。
 さて、駐車場には車が目立つ。普通のハイカーのもののようだ。ここから横峰寺まではほんの1.6km。一時間あれば十分登れる距離である。ということは横峰寺までではなくてほかにルートがあるのだろう。さて、急な階段へ一歩踏み出し横峰寺への山道を歩く。

 山道を登り終えると三門があらわれる。境内には白く雪が積もる。本堂、大師堂と参拝を終えてまた三門へ戻る。
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 石鎚山へ向かう道へ進む。0.6km進むと奥の院である『星ノ森』に到着する。
 大師像があり、私の背丈の半分ほどの高さの金属の鳥居が立つ。南に開けた展望の向こうには、石鎚山だ。鳥居の前には小銭がちらばる。
 当初、公園ではなくここで野宿しようかとも考えていた。実際テントも張れる平らないい場所だ。今後のために幕営適地として覚えておこう。
 ガッチリ山装備に身を固めた男女がいたので石鎚山まで行ったのかとたずねると星ノ森までですと答えた。過剰装備だなあと思いながらそうですか、石鎚山まで行きたいですねえなどと会話をした。
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 星ノ森を辞して横峰寺へ戻る。寺の前には休憩所がある。ここも野宿適地である。中にはすでに昼飯をはじめている男女がいる。少し会話をして寺を辞する。

 山道をゴリゴリ下り、分岐を西へ。香園寺奥の院『白滝』にでてくる。白滝は土砂崩れで参拝不可能な状態になっている。白滝は参拝不能であるが奥の院には白い建物があり、お大師様が祀られている。そこは有人であった。現地の人からの信仰が篤いようで作業着の男性が奥の院の女性と談笑している。その様子を横目にお大師様に参拝し進む。参道入り口にはほぼ壊れているトイレと東屋があり、そこでテントを立てて少し早いが幕営とする。
 テントを立てて寝袋にもぐりこむ。暗くなると獣が歩き回る音が聞こえた。鼻息から察するにイノシシだろう。東屋の中にまでやってくることはなく何の問題もなく一夜を過ごした。


【歩いた距離、歩数】
34.43km 49,930歩

【つかったお金】
ごはん 696円
お賽銭 5円
珠   300円

四十日目
2021.1.4(月)
行程:
五十八番仙遊寺→竹林寺→五十九番国分寺→世田薬師→臼井御来迎→実報寺→日切大師→別格十一番生木地蔵→丹原総合公園

その2

 コーヒーを飲み終えて今治市を北へ。五十九番『国分寺』を目指す。
 国道196号ぞいに歩いていると白い車が停まっている。その横には全身をアウトドアブランドのアークテリクスでかためた男性が立っている。
 「お四国参りで?歩き?カッコイイなあー!!ちょ、写真撮らせて!!」
 男性はザックを背負って杖突き歩いている私の姿を見つけて、車を止めて待ち構えていたそうだ。
 男性はなんと昨日石鎚山に登ったらしい。インスタグラムにうpったきれいな写真を見せてもらう。空の青と雪の白が見事なコントラストである。
 昨日石鎚山に登った人に出会うのはこれで二人目である。すごい偶然だ。
 少し話をして別れる。私が国分寺の方向がわからずまごついていると男性はここをまっすぐ行って右に曲がるとすぐ着きますよと教えてくれた。

 国分寺に到着である。参拝を済ませて県道156号を南下する。
 仙遊寺の歩き遍路さんと再会するとすればこの道だろう。だけれど彼はまだ来ない。

 県道沿いの道の駅『今治湯の浦温泉』で休憩する。名前通り温泉があることを期待していたがそこには入浴できる温泉はなく、噴水だけがあった。落胆して先へ進む。

 道の駅を過ぎてまたもや今治小松自動車道をくぐり、世田薬師へ向かう。境内は年始で人がごったがえしている。ここから2kmほど登ると世田薬師の奥の院らしいが面倒になり行かなかった。

 ここからは番外霊場が続く。
 まず『臼井御来迎』をたずねる。民家の裏にちまっと立つ小さなお堂だ。隣にはあずまやがある。そのあずまやでは野宿できないが、ここから1km歩いた光明寺で宿泊ができるという張り紙がしてある。
 次は『実報寺』だ。ここは地蔵の寺だ。最高だ。
 そしてまた戻って『日切大師』へ向かう。こぢんまりしているがここも雰囲気がある。良い寺だ。
 八十八か所では得られない充足感を胸にどんどん郊外へ向かう。

 民家で飼われているポニーを眺めて丹原町へと入っていく。
 途中で軽トラに乗る男性に声をかけられる。
 「どこまで行くの」「生木地蔵までです」「生木……ああ、あそこか。場所わかるか?」「はい!大丈夫です。ありがとうございます!」

 そうして六十番『横峯寺』がある山を正面から左手に変えて県道48号を西へ進む。
 別格十一番『生木地蔵』に到着である。
 この時は気づかなかったが私は300円の珠をいただくのに500円玉を出して、300円受け取ったらしい。
 生木地蔵をあとにして買い出しを終える。今日は月曜日なのでジャンプを買う。それから進行方向は北に変える。次の目的地は別格十番霊場『興隆寺』なのだ。
 しかし今日はもうタイムアップ。丹原総合公園にて幕営する。

 丹原総合公園に到着する。公園には子供連れの家族がたくさんいる。目立ちたくない私は公園のはずれにあるトイレ近くのベンチに腰掛けて、ビールとおつまみをいただきながらジャンプを読む。
 お遍路中はアルコール断ちをする!と決めて歩き始めたわけだが、年越しの宴でビールと日本酒を飲んで以来、お遍路で酒断ちすることに意味ある?と思い直して、普通に酒を飲み始めたのだ。
 ほろ酔いになってきたころ、おばあさんに声をかけられた。
「歩き遍路か、えらいな。がんばって!これあげる!あ、これも。ここにもあるな、これもあげる!」と、ポケットに入っているお菓子を一切合切私にくれた。

 好きな時に歩いて好きな時に飯食って酒飲んで好きな場所で寝て仕事もせずだらだらしているだけのお遍路。そんな私に励ましと称賛の言葉をくれてさらに食べ物まで与えてくれる。
 四国の人にとってお遍路さんとはなんなんだろう。厄介なもの?ありがたいもの?応援したいもの?忌避すべきもの?私が自分の家の近くに遍路道があったりなかったりしてお遍路さんがたびたび歩いてきたらどう思う?いやか?うれしいか?

 歩き去る女性を見送り再びベンチに座りビールを飲み、お遍路とは何なのかについて改めて思いをめぐらした。


【歩いた距離、歩数】
33.33km 48.370歩

【つかったお金】
ごはん 1,372円
お酒  168円
お賽銭 11円
ジャンプ 300円
珠   300円

四十日目
2021.1.4(月)
行程:
五十八番仙遊寺→竹林寺→五十九番国分寺→世田薬師→臼井御来迎→実報寺→日切大師→別格十一番生木地蔵→丹原総合公園

その1


【無駄な時間】
 朝六時。今朝はお寺の朝のお勤めに出席しなければならない。朝のお勤めに出席しない人もいる、というのは納経所の人の言。確かに、朝六時なんてお遍路にとってはそろそろ歩き始めたい時間だ。お寺なんて暇なんだからもっと早くお勤めしろよな、なんて悪態を秘めながら数珠は持っていないので輪袈裟だけを首にかけて本堂へ向かう。
 本堂の扉を開ける。靴を脱いで中に入る。立派な袈裟を着て眼鏡をかけた剃髪の男性と、昨夜で雪山デビューされた女性のお坊さんがストーブの前に立っていた。
 しばらくしてもう一人お坊さんがやってくる。さらに先日通夜堂を譲った歩き遍路の男性もやってくる。そして朝の勤行が始まる。

 お経は全くわからない。わからないから耳を澄ませながら仏像を眺めていた。途中、焼香を求められたがやり方がわからないので男性遍路の方に先にやってもらった。倣って二度、焼香をあげた。般若心経、真言のおんあぼきゃべいろしゃのう~、願わくはこの功徳をもって~のおなじみの文言は覚えているので共に唱和した。

 読経が終わる。堂内に静けさが戻る。剃髪のお坊さんが振り返る。
 「どこから来た?何歳?」などの雑談を皮切りに、説教とまではいかないが、講話のようなものが始まる。
 お坊さんは自らを変わり者だと言った。仏道に身をやつしていながら農業もするし猟もやる。世の中の役に立つことをやりたいのだと。
 「宗教の本来の役割、それは何か。平和を祈ることだ。宗教の役割は平和を祈ることだけれど……今、世界を見渡すと、宗教は戦争を起こす火種づくり、きっかけづくりしかしていない。それではいけないんだよね」
 でも平和を守るなんて大層だ。だから私は手の届く範囲から、作物をつくったり、害獣を駆除したりして地域の人々の役に立つことをやりたい、と。

 いっしょに講話を聴いていた男性お遍路さんはいたく感動していた。平和のために身近なことやれることからやろうだなんて、まるで御大師様のようだ!と。
 隣で私は感心していた。
 お坊さんはいいことを言った。『宗教が担う一番大きな役割とは、戦争の口実の作成である』ということだ。本当にその通りだと感心した。真に平和を願うのであればお堂の奥にひきこもっていてはいけない。それでは何も解決しない。
 私は、宗教というものは無くなった方がいいものである、という考えをより深めた。

 男性お遍路さんは区切り打ちをしているそうだ。明日には神奈川へ帰らなければいけないらしい。だから今日は進めるだけ進む心づもりのようだ。「また会うと思いますけど」「そうですねー」と言って別れたが、行き先違うから今日会うことはないよなあ……?と脳内に地図を思い浮かべながら答えた。


【有意義な時間】
 次の目的地は別格竹林寺である。仙遊寺からダッシュで山道を降りる。建設途中の今治小松自動車道をくぐりぬける。朝日を見ながら竹林寺を探す。お寺は山の上にあるものだ。坂になった車道にザックを放置して寺を目指す。小高い境内から再び朝日を眺めて参拝。一息ついて坂を下る。荷物を回収して自動車道近くのお遍路トイレ前自販機でコーヒーを買う。トイレでは女性が掃除をしていた。女性は掃除の手を止めずに話しかけてくる。
 「お四国参り?歩き?」「ええ、時間だけはあるんで……」
 歩き遍路というと、えらいね、すごいね、と言われることが多いのでそれを回避するために、『暇だからできる』ということを強調するために『時間だけはある』という返答をするようにしている。するとだいたいは、『そんな皮肉のつもりじゃないんだが……』のような反応が返ってくるのだが、今日はちょっと違った反応が得られた。
 「そうそう。時間だけはある。時間だけはな。うちの息子もな、コロナで無職なってな。家賃払えなくなってな、私も少ない年金暮らしやねんけど、家賃払てあげてな」
 「ええっ。大変ですね……。子供さんはひとりで暮らしてはるんですか?」
 「いやいや、もう50んなって、家族もいるんやけど」
 話の流れから大学卒業そこらの息子かとおもいきやかなりいい大人の話で面食らう。
 「それで仕事辞めてからな、なんかストレスやろね、病気になってしもて、入院してな。でも国民健康保険払ってなかったからな。10割払わなあかんくて、それも私が払てなあ、それから払てなかった保険料も私が払て」
 「うわ……めっちゃ大変やないですか……」
 面食らう話が続いてまともな返答ができない。息子、どんだけダメ人間なんだ。そしてこの人、神様か何かか??
「んー大変やったわー。でも命あるだけよかったわなー」
 その言葉にさらに面食らう。

 あー今日も晴れてるわーいい天気ねー。なんて言うかのようなノリで女性は話している。
 愚痴るでもなく、ただ淡々と、身に起こったことを話すだけ。結構壮絶な内容なのだけれど、こんなことよくあることでしょ?とでもいうようにあっけらかんとしている。
 そしてその間も掃除の手は一切止めずてきぱきと仕事を進めていく。

 仙遊寺でいただいた講話よりもずっと身に染みるお話だった。

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