四十日目
2021.1.4(月)
行程:
五十八番仙遊寺→竹林寺→五十九番国分寺→世田薬師→臼井御来迎→実報寺→日切大師→別格十一番生木地蔵→丹原総合公園

その1


【無駄な時間】
 朝六時。今朝はお寺の朝のお勤めに出席しなければならない。朝のお勤めに出席しない人もいる、というのは納経所の人の言。確かに、朝六時なんてお遍路にとってはそろそろ歩き始めたい時間だ。お寺なんて暇なんだからもっと早くお勤めしろよな、なんて悪態を秘めながら数珠は持っていないので輪袈裟だけを首にかけて本堂へ向かう。
 本堂の扉を開ける。靴を脱いで中に入る。立派な袈裟を着て眼鏡をかけた剃髪の男性と、昨夜で雪山デビューされた女性のお坊さんがストーブの前に立っていた。
 しばらくしてもう一人お坊さんがやってくる。さらに先日通夜堂を譲った歩き遍路の男性もやってくる。そして朝の勤行が始まる。

 お経は全くわからない。わからないから耳を澄ませながら仏像を眺めていた。途中、焼香を求められたがやり方がわからないので男性遍路の方に先にやってもらった。倣って二度、焼香をあげた。般若心経、真言のおんあぼきゃべいろしゃのう~、願わくはこの功徳をもって~のおなじみの文言は覚えているので共に唱和した。

 読経が終わる。堂内に静けさが戻る。剃髪のお坊さんが振り返る。
 「どこから来た?何歳?」などの雑談を皮切りに、説教とまではいかないが、講話のようなものが始まる。
 お坊さんは自らを変わり者だと言った。仏道に身をやつしていながら農業もするし猟もやる。世の中の役に立つことをやりたいのだと。
 「宗教の本来の役割、それは何か。平和を祈ることだ。宗教の役割は平和を祈ることだけれど……今、世界を見渡すと、宗教は戦争を起こす火種づくり、きっかけづくりしかしていない。それではいけないんだよね」
 でも平和を守るなんて大層だ。だから私は手の届く範囲から、作物をつくったり、害獣を駆除したりして地域の人々の役に立つことをやりたい、と。

 いっしょに講話を聴いていた男性お遍路さんはいたく感動していた。平和のために身近なことやれることからやろうだなんて、まるで御大師様のようだ!と。
 隣で私は感心していた。
 お坊さんはいいことを言った。『宗教が担う一番大きな役割とは、戦争の口実の作成である』ということだ。本当にその通りだと感心した。真に平和を願うのであればお堂の奥にひきこもっていてはいけない。それでは何も解決しない。
 私は、宗教というものは無くなった方がいいものである、という考えをより深めた。

 男性お遍路さんは区切り打ちをしているそうだ。明日には神奈川へ帰らなければいけないらしい。だから今日は進めるだけ進む心づもりのようだ。「また会うと思いますけど」「そうですねー」と言って別れたが、行き先違うから今日会うことはないよなあ……?と脳内に地図を思い浮かべながら答えた。


【有意義な時間】
 次の目的地は別格竹林寺である。仙遊寺からダッシュで山道を降りる。建設途中の今治小松自動車道をくぐりぬける。朝日を見ながら竹林寺を探す。お寺は山の上にあるものだ。坂になった車道にザックを放置して寺を目指す。小高い境内から再び朝日を眺めて参拝。一息ついて坂を下る。荷物を回収して自動車道近くのお遍路トイレ前自販機でコーヒーを買う。トイレでは女性が掃除をしていた。女性は掃除の手を止めずに話しかけてくる。
 「お四国参り?歩き?」「ええ、時間だけはあるんで……」
 歩き遍路というと、えらいね、すごいね、と言われることが多いのでそれを回避するために、『暇だからできる』ということを強調するために『時間だけはある』という返答をするようにしている。するとだいたいは、『そんな皮肉のつもりじゃないんだが……』のような反応が返ってくるのだが、今日はちょっと違った反応が得られた。
 「そうそう。時間だけはある。時間だけはな。うちの息子もな、コロナで無職なってな。家賃払えなくなってな、私も少ない年金暮らしやねんけど、家賃払てあげてな」
 「ええっ。大変ですね……。子供さんはひとりで暮らしてはるんですか?」
 「いやいや、もう50んなって、家族もいるんやけど」
 話の流れから大学卒業そこらの息子かとおもいきやかなりいい大人の話で面食らう。
 「それで仕事辞めてからな、なんかストレスやろね、病気になってしもて、入院してな。でも国民健康保険払ってなかったからな。10割払わなあかんくて、それも私が払てなあ、それから払てなかった保険料も私が払て」
 「うわ……めっちゃ大変やないですか……」
 面食らう話が続いてまともな返答ができない。息子、どんだけダメ人間なんだ。そしてこの人、神様か何かか??
「んー大変やったわー。でも命あるだけよかったわなー」
 その言葉にさらに面食らう。

 あー今日も晴れてるわーいい天気ねー。なんて言うかのようなノリで女性は話している。
 愚痴るでもなく、ただ淡々と、身に起こったことを話すだけ。結構壮絶な内容なのだけれど、こんなことよくあることでしょ?とでもいうようにあっけらかんとしている。
 そしてその間も掃除の手は一切止めずてきぱきと仕事を進めていく。

 仙遊寺でいただいた講話よりもずっと身に染みるお話だった。