三十六日目
2020.12.31(木)
行程:杖ノ渕公園→香積寺(隻手(かたて)観音)→四十九番浄土寺→五十番繁多寺→五十一番石手寺→五十二番太山寺→太山寺奥の院
テントの中でパンをかじる。レーズンがいっぱい入ったカンパーニュ?である。昨日も今朝もパンまみれでうれしい限りだ。
今朝はまず番外霊場の香積寺(こうしゃくじ)を訪れる。墓地に埋もれた寺の前には男性がひとり小用を足していた。神も仏も恐れぬ行為である。
境内には五色の布がかかっている。明日、いや今夜からの初詣準備だろう。
香積寺は別名隻手観音というらしいが、由緒書きらしい看板等はどこにも見当たらない。お大師様がいたので会釈して寺を辞した。
雨上がりの空は異様に美しい。朝日をうけて染まる雲は背景の青と見事なコントラストを呈する。これからどんどん北上し、舞台は道後へ。松山の中心部へ向かうのだ。まさかこんなド年末、大みそかに道後に来ることになるなんてね。
各寺の前にはかどまつが建つ。四十九番浄土寺の三門は工事中で緑のネットをかぶっていた。
鐘を鳴らして本堂の前に立つ。とっくに般若心経はマスターしている。御本尊をみすえて、『なにがお経だ、こんなものを唱えたところで本当に世を救えるなんて思っているのか?』と想いを込めて経をとなえる。ただ、『南無大師遍照金剛』の三回だけは頭をたれて静かに唱える。それが今の私の読経スタイルだ。
寺を辞し北へ。道路や脇道に描かれるお遍路のイラストはとてもかわいい。住宅街を指示に従ってぬけていく。五十番繁多寺に到着。鐘楼の天井絵が鮮やかだ。
指示に従いさらに住宅街をぬける。石手川をわたるとそこからは観光地の世界。五十一番石手寺は道後温泉に訪れる観光客でにぎわっている。
胎内くぐりのような地蔵巡りの洞窟がある。洞窟に入るには100円を賽銭箱に入れなければならない。なんでそんなもん払わにゃならんのじゃい、と思いながらしょうもない洞窟を歩いて出てきた。寺を辞したころに手袋を片方なくしていることに気づき寺に戻る。みつからなくて、よもや、と思い立ち洞窟に再度かけこむと手袋を発見した。100円程度ケチってるんとちゃうわ、と仏さまに怒られたのだ。徳島の勝浦で出会った男性風に言うならば、「やられた!!」である。やられた。ちゃんと払います。と、賽銭箱に100円を投入した。
石手寺の裏から遍路道がのびている。しかし番外霊場義安寺に寄りたかったので県道187号ぞいに北上する。義安寺を辞してさらに進むと場所はもうほぼほぼ都会である。火の鳥が壁を飾る道後温泉の横をとおりぬける。観光客が往来する商店街で土産物屋を見てぶらぶらする。ある土産物屋で「一週間は生きて行けそうな荷物やねえ」と軽口をたたかれて気分を害して土産物屋で飯を探すのをやめてさっさと商店街を辞する。
伊佐爾波神社の石段を登る。14kgのザックを背負ったまま、ぜいぜい息を荒げながら歩いている観光客などを横目にすいすい登っていく。当たり前だ。ゆっくり歩くほうがしんどいのだ。階段上りはスクワットと同じ。スクワットはゆっくりやった方がキツい。
『伊佐爾波(いさにわ)神社』
延喜式内社である。仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、三柱姫大神を祀る。
社伝によると仲哀天皇、神功皇后が道後温泉に来浴した時の行在所跡に建てられた神社で、建内宿禰が審神者を務めたことから伊佐爾波という社名になったという説がある。なお、湯月八幡とも呼ばれていた。四国は八幡社が多い。
神社からさらに登ると『宝厳寺』がある。一遍上人が生まれた場所であるそうだ。境内には『一遍上人堂』があり、ミニ美術館となっている。入場は無料。一遍上人像、一遍聖絵が展示されており、各巻について説明したパネルも展示されていて見ごたえがある。
長い石段を降りていく。女性に声をかけられる。
「次はどこのお寺まで行かれるんですか?」「えっと、太山寺です」「そんな遠いところに……?!」そうおっしゃってから姿を消し、しばらくして戻ってきた彼女は、
「お茶しかなくて悪いんだけど……寒いので、気を付けてください」とあったかいお茶をくださった。わざわざ近くの自動販売機で購入して下さったようだ。ありがたくうけとる。
初詣にむけてたくさんの屋台が道路両脇に連なっている。横目にどんどん北上する。
『山頭火一草庵』に立ち寄る。
どうしようもない歌人、種田山頭火もお遍路をしたらしい。したといってもほんの少し。高知県まで訪れたところで、これから寒くなるから愛媛へ進めない。。となって、久万町を一直線に目指して道後におりてきたそうだ。そしてふらりと松山へやってきた山頭火は支援者の好意によりのちに『一草庵』と呼ばれる納屋に住んだ。
一草庵には入れなかったが庭にある建物に山頭火の一生をつづったパネルがあった。ほんとうにどうしようもないクズ野郎だった。
ここから番外霊場の蓮華寺というものがあるのだがパスして五十二番札所太山寺へ向かう。
スーパーに立ち寄り買い出しを行う。私はすごくわくわくしていた。なぜか。お遍路中はアルコール禁止、そう決めていたが、年越しである今晩だけは飲んでいいと決めたからだ。
年末準備のお客でごった返すスーパーで年越しそば、おつまみ、日本酒、ビール、を購入する。すべて詰め込んだザックはこの旅で一番重たい。
久々に重たいザックをかついで太山寺を目指す。都会から離れて大将軍神社の脇を抜けて長い参道にたどり着く。参道入り口にはザック姿の男性がいる。お遍路さんだろう。あいさつをして足早に寺に向かう。参拝をして済ませてすぐ裏山に向かう。この裏山のてっぺんが奥の院だ。今夜は山頂にテントを張りお酒を飲んで過ごすのである。
寺の奥の院で年越しをするお遍路。最高である。おそらくこんなところで幕営したお遍路さんはほかにいないだろう。
山頂にテントを張れるスペースはあるだろうか?お寺の人が見回りに来て追い出されたりしないだろうか?いろんな『もし』を脳裏に描きつつ、わくわくとどきどきで胸をいっぱいにしながら山道を登りだした。
【歩いた距離、歩数】
37.75km 54,827歩
【つかったお金】
ごはん 3,605円
酒 927円
お賽銭 53円
2020.12.31(木)
行程:杖ノ渕公園→香積寺(隻手(かたて)観音)→四十九番浄土寺→五十番繁多寺→五十一番石手寺→五十二番太山寺→太山寺奥の院
テントの中でパンをかじる。レーズンがいっぱい入ったカンパーニュ?である。昨日も今朝もパンまみれでうれしい限りだ。
今朝はまず番外霊場の香積寺(こうしゃくじ)を訪れる。墓地に埋もれた寺の前には男性がひとり小用を足していた。神も仏も恐れぬ行為である。
境内には五色の布がかかっている。明日、いや今夜からの初詣準備だろう。
香積寺は別名隻手観音というらしいが、由緒書きらしい看板等はどこにも見当たらない。お大師様がいたので会釈して寺を辞した。
雨上がりの空は異様に美しい。朝日をうけて染まる雲は背景の青と見事なコントラストを呈する。これからどんどん北上し、舞台は道後へ。松山の中心部へ向かうのだ。まさかこんなド年末、大みそかに道後に来ることになるなんてね。
各寺の前にはかどまつが建つ。四十九番浄土寺の三門は工事中で緑のネットをかぶっていた。
鐘を鳴らして本堂の前に立つ。とっくに般若心経はマスターしている。御本尊をみすえて、『なにがお経だ、こんなものを唱えたところで本当に世を救えるなんて思っているのか?』と想いを込めて経をとなえる。ただ、『南無大師遍照金剛』の三回だけは頭をたれて静かに唱える。それが今の私の読経スタイルだ。
寺を辞し北へ。道路や脇道に描かれるお遍路のイラストはとてもかわいい。住宅街を指示に従ってぬけていく。五十番繁多寺に到着。鐘楼の天井絵が鮮やかだ。
指示に従いさらに住宅街をぬける。石手川をわたるとそこからは観光地の世界。五十一番石手寺は道後温泉に訪れる観光客でにぎわっている。
胎内くぐりのような地蔵巡りの洞窟がある。洞窟に入るには100円を賽銭箱に入れなければならない。なんでそんなもん払わにゃならんのじゃい、と思いながらしょうもない洞窟を歩いて出てきた。寺を辞したころに手袋を片方なくしていることに気づき寺に戻る。みつからなくて、よもや、と思い立ち洞窟に再度かけこむと手袋を発見した。100円程度ケチってるんとちゃうわ、と仏さまに怒られたのだ。徳島の勝浦で出会った男性風に言うならば、「やられた!!」である。やられた。ちゃんと払います。と、賽銭箱に100円を投入した。
石手寺の裏から遍路道がのびている。しかし番外霊場義安寺に寄りたかったので県道187号ぞいに北上する。義安寺を辞してさらに進むと場所はもうほぼほぼ都会である。火の鳥が壁を飾る道後温泉の横をとおりぬける。観光客が往来する商店街で土産物屋を見てぶらぶらする。ある土産物屋で「一週間は生きて行けそうな荷物やねえ」と軽口をたたかれて気分を害して土産物屋で飯を探すのをやめてさっさと商店街を辞する。
伊佐爾波神社の石段を登る。14kgのザックを背負ったまま、ぜいぜい息を荒げながら歩いている観光客などを横目にすいすい登っていく。当たり前だ。ゆっくり歩くほうがしんどいのだ。階段上りはスクワットと同じ。スクワットはゆっくりやった方がキツい。
『伊佐爾波(いさにわ)神社』
延喜式内社である。仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、三柱姫大神を祀る。
社伝によると仲哀天皇、神功皇后が道後温泉に来浴した時の行在所跡に建てられた神社で、建内宿禰が審神者を務めたことから伊佐爾波という社名になったという説がある。なお、湯月八幡とも呼ばれていた。四国は八幡社が多い。
神社からさらに登ると『宝厳寺』がある。一遍上人が生まれた場所であるそうだ。境内には『一遍上人堂』があり、ミニ美術館となっている。入場は無料。一遍上人像、一遍聖絵が展示されており、各巻について説明したパネルも展示されていて見ごたえがある。
長い石段を降りていく。女性に声をかけられる。
「次はどこのお寺まで行かれるんですか?」「えっと、太山寺です」「そんな遠いところに……?!」そうおっしゃってから姿を消し、しばらくして戻ってきた彼女は、
「お茶しかなくて悪いんだけど……寒いので、気を付けてください」とあったかいお茶をくださった。わざわざ近くの自動販売機で購入して下さったようだ。ありがたくうけとる。
初詣にむけてたくさんの屋台が道路両脇に連なっている。横目にどんどん北上する。
『山頭火一草庵』に立ち寄る。
どうしようもない歌人、種田山頭火もお遍路をしたらしい。したといってもほんの少し。高知県まで訪れたところで、これから寒くなるから愛媛へ進めない。。となって、久万町を一直線に目指して道後におりてきたそうだ。そしてふらりと松山へやってきた山頭火は支援者の好意によりのちに『一草庵』と呼ばれる納屋に住んだ。
一草庵には入れなかったが庭にある建物に山頭火の一生をつづったパネルがあった。ほんとうにどうしようもないクズ野郎だった。
ここから番外霊場の蓮華寺というものがあるのだがパスして五十二番札所太山寺へ向かう。
スーパーに立ち寄り買い出しを行う。私はすごくわくわくしていた。なぜか。お遍路中はアルコール禁止、そう決めていたが、年越しである今晩だけは飲んでいいと決めたからだ。
年末準備のお客でごった返すスーパーで年越しそば、おつまみ、日本酒、ビール、を購入する。すべて詰め込んだザックはこの旅で一番重たい。
久々に重たいザックをかついで太山寺を目指す。都会から離れて大将軍神社の脇を抜けて長い参道にたどり着く。参道入り口にはザック姿の男性がいる。お遍路さんだろう。あいさつをして足早に寺に向かう。参拝をして済ませてすぐ裏山に向かう。この裏山のてっぺんが奥の院だ。今夜は山頂にテントを張りお酒を飲んで過ごすのである。
寺の奥の院で年越しをするお遍路。最高である。おそらくこんなところで幕営したお遍路さんはほかにいないだろう。
山頂にテントを張れるスペースはあるだろうか?お寺の人が見回りに来て追い出されたりしないだろうか?いろんな『もし』を脳裏に描きつつ、わくわくとどきどきで胸をいっぱいにしながら山道を登りだした。
【歩いた距離、歩数】
37.75km 54,827歩
【つかったお金】
ごはん 3,605円
酒 927円
お賽銭 53円
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