三十四日目
2020.12.29(火)
行程:道の駅小田の郷せせらぎ→四十五番札所『岩屋寺』→古岩屋バス停
起床。
テントは外も中も水滴でびっしょびしょになっている。設営場所が川に近すぎた。もっと奥にテントを立てればよかった。
さて、今日の行程についてだ。
四十四番札所から四十五番札所までの一般的な遍路道は往復をする。一度歩いた道をまた歩いて戻らねばならない。そんなつまらないことは御免なので違う道を選ぶ。『農祖峠(のうそのとう)』→『日の出橋』→『素鷲(すが)神社』ルートだ。遍路ステッカーだけを見て歩いていると出会えない道だ。16年前のガイドブックには載っているが、最近のガイドブックには載ってないかもしれない。しかしだからこそ不安もある。本当に歩ける道がついているのか?不安でいっぱいになりながら小田のAコープで購入したオムそばをもぐもぐする。クッカーで温めた豚汁で一息ついてパンをかじる。咀嚼音と川のせせらぎとテントに水滴がついてふくらんでいく音だけが耳に届く。
【農祖峠越え】
6:20、出発である。ここから先は商店が皆無。4食分くらいの飯を持っていく。いつもよりザックが重い。水の心配はしていない。どんな田舎でも集落があれば自動販売機があるということは今までの旅で学習済みだからだ。
国道380号ぞいに進む。左手に『畑峠(はたのとう)』経由の遍路看板が現れる。こんな道はガイドブックに載ってない。どこにつながるのかわからないがおそらく『鴇田(ひわた)峠』につながる道だと思われる。できるだけトンネルではなく古道を歩きたいところだが私が目指す方向と違う。道を見送り国道をまっすぐ進んで『新真弓トンネル』を抜ける。『父峰村(ふじみねむら)』の集落に入る。霜のおりる集落はじんと冷える。二名川と出合い左折する。
しばらくして山に入り農祖峠を越える。
道なりに下りていくと『→岩屋寺←大宝寺』の道標に出会う。道標とともに立つ看板には『岩屋寺への遍路道は〇通。当所を〇へ、大宝寺から岩屋寺へとお進みください。』と書かれている。前者の〇には『不』、後者の〇には『左』が入るようだ。今は不通ではない、右へ行ける、ということだ。意気揚々と右へ進む。
国道33号に下りる。ここで左折したら久万町の中心部に着く。久万町中心部にたどり着けば飯も宿もふんだんにある。だがそっちには行かない。面白くないので……。県道153号へ進む。山を切り開いた広い車道だ。車道なので傾斜は強い。えっちら上り『中の村』集落に入る。『→岩屋寺』という道標にしたがい右折。道なりに進むと日の出橋があり、橋の前で左折する。
廃村へ入っていく。遍路ステッカーこそないが古い石の道標がある。他では見ないタイプなのでこの村オリジナルのものだろう。廃屋をいくつか見送り村の最奥へ進むと失礼ながら廃村には似つかわしくない立派な鳥居とこけむした参道が目の前に現れた。『素鷲神社』である。
あまりの立派さにしばし見惚れる。こけむした階段を上り拝殿へ。神楽も奉納できそうな広い拝殿だ。階段がゆがんでいたり拝殿床に苔が生えたりはしているものの管理はきちんとされている風だ。
賽銭箱の横に置かれた菓子缶をあけると一冊のノートがある。住所と名前を書き込み再びふたをする。
面々と続く信仰心に感銘をうけつつ休憩をすませ神社を辞する。ここからは山登りである。
【槙ノ谷ルート】
『槙の谷』から山に入る。登山道ぞいに『大村邸』、『黒川邸跡』、『前田邸跡』、『福住邸跡』、『高岡邸跡』、などと家跡があるらしいがよくわからない。道に従い高度をあげていくと植樹の伐採に使われたのであろうブルドーザー道が横断し、遍路道が断絶している。コンパスで方角を確認しつつ歩いているとピンクテープが見える。テープに従い進むとそれらしい道があらわれるので進んでいく。
しばらくして鯖大師の札『お大師様も歩かれた道』が現れてここが遍路道だと確信する。
踏みあとぞいに進んでいくと八丁坂の茶店跡に着くことができた。
案内板曰く。『ここは、野尻から中野村を経て槙ノ谷から上がる「打ちもどり」なしのコースとの出会い場所です。槙ノ谷は 昔 七島村の組内30戸程の人達が、この道こそ本来のコースであることを示そうとの意気込みを持って、延享5年「西暦1748年」に建てた「遍照金剛」と彫った大石碑が建っています。』
そこには遍路道道標の倍以上ある高さ、両手で抱えるほどの大きさの見上げる石碑が立っていた。
【四十五番札所岩屋寺へ】
ざくざくと進んでいくとやがて道は下りになる。般若心経が書かれた壁に囲まれた真っ赤な不動明王像が見えてくる。さらに進むとお堂とその裏に見上げる岩壁があらわれる。岩屋寺奥の院の『白山逼割(せりわり)行場』だ。納経所でお金を払って鍵をもらえばこの岩山を登らせてもらえるらしい。お金を払って得るものに価値はないと考えるのでここはスルーだ。
どんどん降りていくと仏像の姿が目立ってくる。『三十六童子行場』だ。男性が一人あがってきた。
「わっ。こんなところ歩くお遍路さんいるんですね……」
「いやまあ、遍路道ですから」
なんて会話を交わして進む。まあ、ここを歩いていた当時、お遍路さんの一般的な道はここじゃないってことすら知らんかったけど。
さて、山を下り切って岩屋寺に到着である。岩屋寺は山をのぼって到着する寺なのに、下りて到着なんてなんだか愉快だ。
参拝をすます。
建物の裏には屏風のような岩壁がそびえている。これを見るためだけに来ても価値がある寺だろう。
寺を辞する。三門前の階段をカップルが上ってくる。さらに下る。参道の両側には営業していない商店が並ぶ。土日祝しか営業していないのか、covid19の影響かはわからない。なんにせよ静かなのはいいことだ。
県道12号に合流し、わざわざ歩きにくい遍路道を選んで歩を進める。川の水がきれいだ。なんて思いながら古岩屋荘バス停に到着である。
古岩屋荘では温泉に入ることができる。ゆっくり体を温めて、コインランドリーで洗濯をし、テントとシュラフを乾かして、いい時間になって古岩屋バス停にテントを張った。
そして夜、バス停に訪問者が現れる……。
【歩いた距離、歩数】
35.89km 51,986歩
【使ったお金】
ごはん 460円
お賽銭 2円
お風呂 400円
洗濯 400円
2020.12.29(火)
行程:道の駅小田の郷せせらぎ→四十五番札所『岩屋寺』→古岩屋バス停
起床。
テントは外も中も水滴でびっしょびしょになっている。設営場所が川に近すぎた。もっと奥にテントを立てればよかった。
さて、今日の行程についてだ。
四十四番札所から四十五番札所までの一般的な遍路道は往復をする。一度歩いた道をまた歩いて戻らねばならない。そんなつまらないことは御免なので違う道を選ぶ。『農祖峠(のうそのとう)』→『日の出橋』→『素鷲(すが)神社』ルートだ。遍路ステッカーだけを見て歩いていると出会えない道だ。16年前のガイドブックには載っているが、最近のガイドブックには載ってないかもしれない。しかしだからこそ不安もある。本当に歩ける道がついているのか?不安でいっぱいになりながら小田のAコープで購入したオムそばをもぐもぐする。クッカーで温めた豚汁で一息ついてパンをかじる。咀嚼音と川のせせらぎとテントに水滴がついてふくらんでいく音だけが耳に届く。
【農祖峠越え】
6:20、出発である。ここから先は商店が皆無。4食分くらいの飯を持っていく。いつもよりザックが重い。水の心配はしていない。どんな田舎でも集落があれば自動販売機があるということは今までの旅で学習済みだからだ。
国道380号ぞいに進む。左手に『畑峠(はたのとう)』経由の遍路看板が現れる。こんな道はガイドブックに載ってない。どこにつながるのかわからないがおそらく『鴇田(ひわた)峠』につながる道だと思われる。できるだけトンネルではなく古道を歩きたいところだが私が目指す方向と違う。道を見送り国道をまっすぐ進んで『新真弓トンネル』を抜ける。『父峰村(ふじみねむら)』の集落に入る。霜のおりる集落はじんと冷える。二名川と出合い左折する。
しばらくして山に入り農祖峠を越える。
道なりに下りていくと『→岩屋寺←大宝寺』の道標に出会う。道標とともに立つ看板には『岩屋寺への遍路道は〇通。当所を〇へ、大宝寺から岩屋寺へとお進みください。』と書かれている。前者の〇には『不』、後者の〇には『左』が入るようだ。今は不通ではない、右へ行ける、ということだ。意気揚々と右へ進む。
国道33号に下りる。ここで左折したら久万町の中心部に着く。久万町中心部にたどり着けば飯も宿もふんだんにある。だがそっちには行かない。面白くないので……。県道153号へ進む。山を切り開いた広い車道だ。車道なので傾斜は強い。えっちら上り『中の村』集落に入る。『→岩屋寺』という道標にしたがい右折。道なりに進むと日の出橋があり、橋の前で左折する。
廃村へ入っていく。遍路ステッカーこそないが古い石の道標がある。他では見ないタイプなのでこの村オリジナルのものだろう。廃屋をいくつか見送り村の最奥へ進むと失礼ながら廃村には似つかわしくない立派な鳥居とこけむした参道が目の前に現れた。『素鷲神社』である。
あまりの立派さにしばし見惚れる。こけむした階段を上り拝殿へ。神楽も奉納できそうな広い拝殿だ。階段がゆがんでいたり拝殿床に苔が生えたりはしているものの管理はきちんとされている風だ。
賽銭箱の横に置かれた菓子缶をあけると一冊のノートがある。住所と名前を書き込み再びふたをする。
面々と続く信仰心に感銘をうけつつ休憩をすませ神社を辞する。ここからは山登りである。
【槙ノ谷ルート】
『槙の谷』から山に入る。登山道ぞいに『大村邸』、『黒川邸跡』、『前田邸跡』、『福住邸跡』、『高岡邸跡』、などと家跡があるらしいがよくわからない。道に従い高度をあげていくと植樹の伐採に使われたのであろうブルドーザー道が横断し、遍路道が断絶している。コンパスで方角を確認しつつ歩いているとピンクテープが見える。テープに従い進むとそれらしい道があらわれるので進んでいく。
しばらくして鯖大師の札『お大師様も歩かれた道』が現れてここが遍路道だと確信する。
踏みあとぞいに進んでいくと八丁坂の茶店跡に着くことができた。
案内板曰く。『ここは、野尻から中野村を経て槙ノ谷から上がる「打ちもどり」なしのコースとの出会い場所です。槙ノ谷は 昔 七島村の組内30戸程の人達が、この道こそ本来のコースであることを示そうとの意気込みを持って、延享5年「西暦1748年」に建てた「遍照金剛」と彫った大石碑が建っています。』
そこには遍路道道標の倍以上ある高さ、両手で抱えるほどの大きさの見上げる石碑が立っていた。
【四十五番札所岩屋寺へ】
ざくざくと進んでいくとやがて道は下りになる。般若心経が書かれた壁に囲まれた真っ赤な不動明王像が見えてくる。さらに進むとお堂とその裏に見上げる岩壁があらわれる。岩屋寺奥の院の『白山逼割(せりわり)行場』だ。納経所でお金を払って鍵をもらえばこの岩山を登らせてもらえるらしい。お金を払って得るものに価値はないと考えるのでここはスルーだ。
どんどん降りていくと仏像の姿が目立ってくる。『三十六童子行場』だ。男性が一人あがってきた。
「わっ。こんなところ歩くお遍路さんいるんですね……」
「いやまあ、遍路道ですから」
なんて会話を交わして進む。まあ、ここを歩いていた当時、お遍路さんの一般的な道はここじゃないってことすら知らんかったけど。
さて、山を下り切って岩屋寺に到着である。岩屋寺は山をのぼって到着する寺なのに、下りて到着なんてなんだか愉快だ。
参拝をすます。
建物の裏には屏風のような岩壁がそびえている。これを見るためだけに来ても価値がある寺だろう。
寺を辞する。三門前の階段をカップルが上ってくる。さらに下る。参道の両側には営業していない商店が並ぶ。土日祝しか営業していないのか、covid19の影響かはわからない。なんにせよ静かなのはいいことだ。
県道12号に合流し、わざわざ歩きにくい遍路道を選んで歩を進める。川の水がきれいだ。なんて思いながら古岩屋荘バス停に到着である。
古岩屋荘では温泉に入ることができる。ゆっくり体を温めて、コインランドリーで洗濯をし、テントとシュラフを乾かして、いい時間になって古岩屋バス停にテントを張った。
そして夜、バス停に訪問者が現れる……。
【歩いた距離、歩数】
35.89km 51,986歩
【使ったお金】
ごはん 460円
お賽銭 2円
お風呂 400円
洗濯 400円