三十九日目
2021.1.3(日)
行程:
道の駅風和里→青木地蔵→五十四番延命寺→五十五番南光坊→別宮大山祇神社→五十六番泰山寺→龍泉寺→五十七番栄福寺→五十八番仙遊寺


 夜明けはすっかり遅くなった。野宿遍路としてはありがたいことだ。
 暗闇の中でラーメンとすきやきを食う。うまい。ラジオ体操をしてテントを片付けて610、出発である。
 国道196号を歩く。辺りは薄暗く、走り抜ける車もライトをつけている。

 海岸沿いを歩いて行き遍照院にたちより変質者を見る目で見られ(ほとんどの地元の人は番外霊場というものを知らないのでお遍路さんが来るとは思っていない)立ち並ぶ瓦屋を見送り四国石油の工場に入っていくタンクローリーを見送る。工場のわきから裏手に入り、野宿するとキリシタンの霊を見ると噂の『青木地蔵』に立ち寄る。
 青木地蔵には通夜堂があるが、ルールを守らない一部お遍路さんのために今は使用禁止となっている。
 海岸沿いから街中へと入っていきお遍路の舞台は今治市になる。

 五十四番札所『延命寺』にたどり着く。
 延命寺はもともと『近見山』の頂上にあったらしい。番外霊場や奥の院も訪問している私としては訪れるべきなのだが面倒になって訪問しなかった。
 延命寺の参拝を終える。ザックは重たいので境内のベンチにデポしていた。ザックを取りに戻るとザックの上に伊藤園の紙パックのジュースが置いてある。これは落とし物や忘れ物ではなくて、多分、お接待なんだろう。辺りを見てみると駐車場に伊藤園の自販機があった。わざわざ買ってきてくださったのだ。デポしたザックの上に置いておくなんて粋なことをしてくださる。ありがたくいただく。

 延命寺を辞し東へ進む。四国といえば北側に角が二本生えた形をしている。ここは四国の西側の角のさきっちょだ。ようやっと愛媛県の北部まで来たのだ。見える海は太平洋から瀬戸内海に変わったのだ。

 五十五番『南光坊』に到着する。参拝をすませ境内のベンチでパンをかじっていると、隣でヨーグルトを食べているおじいさんに声をかけられる。
「私はお遍路さんに出会ったらジュースをおごることにしているんです」
と、自動販売機で缶コーヒーをごちそうになる。
 そこで20分ほどしっぽり話し込む。
 昨日出会ったお遍路さんは鎌大師で宿泊されたらしいですよ、と情報をもらう。はて、鎌大師のヘンロ小屋は野宿禁止だったはずだが……?と思ったがどうもお堂の方に泊めてもらえるらしい。通夜堂ということだ。鎌大師は知る人ぞ知る有名お堂らしく、『てづかみょうけん』さんという超有名人物の逸話があるらしい。帰宅後にググったら『手束妙絹』さんという方がヒットした。

 今治市街を抜けて道路を進み五十六番『泰山寺』に到着する。奥の院『龍泉寺』に参拝し寺を辞する。
 五十七番『栄福寺』を参拝する。寺を辞する。
 さて、そろそろいい時間である。五十八番『仙遊寺』まで行くかそれまでにいい場所があれば幕営準備をするか選択どころである。
 16年前のガイドブックを見て、犬塚池の横に書いてあるWCマーク、ここにテントを張れないかとあたりをつけていた。実際にたどり着いてみると工事現場にあるような簡易トイレがひとつたっていて、その周りは草むらと斜面。とても幕営できるような場所ではなかったし、トイレも利用したいと思えるようなものではなかった。
 さて、ここから先で幕営予定地は仙遊寺の通夜堂か仙遊寺直下にあるらしい休憩所である。

 どうしようかと悩みながらもガシガシ進んで五十八番札所『仙遊寺』まで来てしまった。
 山門をくぐりキツい坂を汗だくになって登る。飼い犬にほえられまがらたどり着いた境内では子供が走り回っている。お寺の住人だ。参拝をすませて納経所で泊めてもらえるか尋ねると、髭を生やしたシブいおじいさんは最初こそいぶかっていて返答も険があったものの、だんだん態度が軟化していき、最終的には優しく猫なで声と笑顔で対応してくれた。
 普段はお風呂に入れるそうだが今日はお風呂の準備ができないらしく何度もすみませんと言われた。こちらとしてはお風呂があることを想定していないので何も謝られるいわれはない。
 通夜堂に連れて行ってもらい使い方や水、電気、寝床の説明を受けたが、その後男性の歩き遍路さんがやってきて、通夜堂は男性が、私は僧房の納屋に通された。納屋はなんとエアコン完備だ。無料で宿泊させてもらうのにエアコンを使用するなど恐れ多い。エアコンは使わないでおこう。と考えていたはずだが結局寒さに負けてエアコンをつけてしまった。
 仙遊寺境内からの眺めはとてもいい。夜景も良いことだろうと夜中に外に出ると何やら人の気配。こんばんは、と声をかけられたので私もこんばんはと返す。僧房に戻ると玄関にはチェーンスパイクの箱、登山リュックが置かれている。さっきまでなかった靴は明らかに登山用である。
 トイレに行って帰って来たときに荷物の持ち主が玄関にいたので思わず声をかけてしまった。
 あの、山に行かれてたんですか……?と尋ねると彼女は嬉しそうに答えてくれた。
 彼女が行っていた山は石鎚山で、人生はじめての雪山登山をしてきたとのことだ。今後も雪山に行きたいのでまずはチェーンスパイクを購入したとのことだ。
 今日の石鎚山の写真を見せてもらった。石鎚山は相変わらず雪の白と空の青のコントラストで輝いている。
 おそらく彼女は仙遊寺で修業中のお坊さんで、お遍路さんを通夜堂へ案内することは彼女の役割なのだろう。ついでに言えば温泉を準備するのも彼女の仕事。だから今日は温泉が準備できなかったのだ。貴重なお休みを人生初の雪山でガッチリ楽しんできたのならこんな幸いなことはない。
 明日も朝早くからお勤めだろうに、山登りでお疲れのところをお引止めして申し訳ないが少しお話をして寝床に戻った。
 寝床に戻ると彼女は部屋にやってきてみかんを3個くれた。お礼を言ってありがたくいただく。
 その夜は部屋の中でパンときんぴらごぼうとみかんをかじり、板の間にたたみをしいて持参の寝袋に入って寝た。たくさん歩いて疲れた体は寒さなどものともせずすぐに眠りに落ちて行った。


【歩いた距離、歩数】
40.83km
59,315歩

【使ったお金】
ごはん 2,068円
お賽銭 6円

三十八日目
2021.1.2(土)
行程:クラウンヒル松山→五十三番円明寺→
五十三番奥の院→鎌大師→道の駅風和里


 ホテルは年末年始限定でウェルカムドリンク(アルコール含む)が飲み放題で昨晩は飲み散らかした。文字通りグラスをひっくりかえして液体を散らかした。ホテルの人ごめんなさいありがとうございます。
 朝飯はバイキングに加えて、田作り、黒豆、かまぼこのおせちセットが出てきた。
 ゆっくり朝飯をすまし7:30に出発である。


【五十三番円明寺】
 国道196を北上し最短距離で五十三番円明寺へ急ぐ。すでにお寺には参拝者がいる。
 本堂には四天王像が立っておりいやがおうにもテンションは上がる。
 お大師さまもちゃんと公開されている。よい寺だ。
 この辺は隠れキリシタンの伝承もあるらしく、境内にはキリシタン灯篭なるものが立っている。

 寺を辞して奥の院を目指す。昨日、消防団のおっちゃんに
「奥の院まで行くの?遠いよー……」と呆れられた。
 いやいや、ここまで歩いてきた距離と比べたら全然遠くないですよ、たった3kmですよ?と言ったが納得顔ではなかった。なんでだ??
 とてもせまい道を歩く。後ろから軽トラがやってきていたが譲れないほどにせまい。ひらけたところで横に避けた。軽トラの運転手は嫌な顔一つせず、会釈をくれた。良い人だ。
 奥の院まではお遍路看板は無い。唯一奥の院の百メートルほど手前に白地に赤字の四角いへんろ道保存協力会のへんろ道看板が現れた。奥の院に到着である。
 6畳ほどのお堂はこじんまりしているがきれいに整備され「南無大師遍照金剛」ののぼりも立っている 。中をのぞくとほこりひとつなく綺麗に掃除されておりお供えの品もたくさん並んでいた。
 奥の院を辞して北へ進む。
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【北条市・鎌大師】
 松山市から北条市へ、国道196沿いを海を見ながら歩く。海はとても青い。こんな綺麗な海を見ながらならば固いアスファルト歩きも苦にならない。
 電車の形をしたカフェがあり、海に落ちるぎりぎりの場所にベンチが置かれている。誰も座っていないベンチセットが青い海を背景にしているさまはなんだか絵になる。
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 北条の集落には蓮福寺大師、西ノ下大師など大師堂がちらほらみられる。どこも綺麗に整備されており大きな大師像が立つ。信仰の深さをうかがわせる。
 蓮福寺大師堂の前に白い軽トラがとまっており、横を通り過ぎようとすると年配の女性がやってきた。御接待である。はい、と渡されたのはティッシュにくるまれた何か。
「ジュース一本しか買われへんくて悪いけど」
と言いながら渡されたそれはきっと、私を見て車をわきにとめてわざわざくるんでくださったのだろう。現金であった。御接待とはいえ現金はものすごく受け取りづらい。目を丸くして驚いた後、すみません、ありがとうございます、を何度も言った。お遍路大変だね、全部歩くの?でも大丈夫か、ここまでこれたんだから、ファイトー!!と、めちゃくちゃ元気なおばあちゃんだった。どぎまぎしている私はテンションを合わせることができなくておばあちゃんに違和感を与えてしまったかもしれない。
 四国の人々は(高知県以外は)よく話しかけてくれる。けれどなにせ私が話し下手すぎて、折角話しかけてくださったのにも関わらず、こちらは楽しい話ひとつもできず、相手に心地悪い気分をさせているかもしれないと常々思う。話しかけてくださったのに申し訳ないと感じる。
 思い出す。古岩屋バス停で出会ったコーヒーの彼。彼は、
「せっかく話しかけてくれたんやから、話しかけてよかったなーと思ってもらいたい。だから、コーヒーでも点ててちょっと小一時間お話しよと思てるんですよね」と言っていた。
 さすがにコーヒーを点てるまではいかないが、せっかく話しかけられたのだからちょっとお話しましょか、という余裕は私も持ちたい。
 でも話し下手なのは仕方ないよね。会話術っていうのは場数を踏まないとうまくならないよね。ここは人がいい四国の方々の胸を借りて、お遍路を通して会話の練習をしていこう。そう前向きにとらえることにした。
 ティッシュにくるまれた現金は千円札一枚。……飲食に使うのは悪い気がしたのでお寺の納経所のみで使用することとした。

 北条市の中心部から郊外へ抜ける。次の目的地は『鎌大師』だ。鎌大師の由緒を下に記す。
『弘法大師が行脚の途次、この地に悪疫が流行していることを哀れんで、村人に鎌で刻んだ大師像をあたえたところ、無事平癒したので、その大師像を本尊としてこの地に堂を建て、「鎌大師」と呼んで深く信仰されてきたと言い伝えられる。』
 悪疫封じの御大師様。ということは昨今の御時勢、参拝者はたくさんいるだろう、境内にあるヘンロ小屋にあるノートをめくってみると案の定『新型コロナ退散』などの文面が踊っていた。
 ちなみにこのヘンロ小屋は野宿禁止である。野宿はしないが雨が弱くなるまで遍路小屋で座っていた。
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 雨が弱まってきた。さてそろそろ出発である。
 来た道を戻って幕営予定地の『道の駅風和里(ふわり)』へ向かおうとしたがどうやら横道があるらしい。住宅地の間を抜けて海岸沿いに出る。海岸沿いを道の駅に向かう。なぜか沖縄のブルーシールアイスの店舗がある。購入はしなかった。ブルーシールアイスを見送ってさらに進むと道の駅に到着だ。


【道の駅風和里】
 道の駅は年末年始で休業中だ。休業中だが駐車場は車がいっぱい。観光客もたくさんいる。バイカーも集合しているし、キャンピングカーは4台もある。
 そしてこの書き入れ時を逃すものかと営業している店舗、というかキッチンカーが駐車場に2台ある。ひとつはラーメンでひとつはコーヒーだ。さすがに繁盛している。さらに奥に行くと道の駅が休業中のさなか、アイスクリーム屋だけが経営している。さすがにこの時期にアイスクリームは売れないようで売れ行きはふるわないようだ。

 アイスクリーム屋の手前が飲食スペースになっている。屋根があって、ごみ箱、椅子、机がそろっていて幕営には便利だ。さらに人があまり来ない。トイレの導線からも離れている。幕営好適地だ。今日はここにテントを張ろうとソフトクリームをなめながら即決した。

 ベンチに重たいザックを置いて夕日見物にでかける。道の駅から道路をはさんで向いは海だ。西に展望が開けている。風が強くて寒いので壁があるところに腰かけて、サングラスをかけて落ちていく夕日を観察した。

 夕日観察を終えて夕食である。さきほど目を付けたベンチでおでんをあたためて汁にうどんを漬ける。うまい。温かい飯が胃袋にしみる。この道の駅はごみを外から持ち込んでもOKのようだ。非常にありがたい。
 寝る前のストレッチをすまし、明日以降3日くらいの旅程を地図をにらみにらみ確認して眠りについた。
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【歩いた距離、歩数】
28.86km 41,949歩

【使ったお金】
ごはん 1,724円
お賽銭 1円
ビタミン剤 1,780円

三十七日目
2021.1.1(金)
行程:太山寺奥の院→クラウンヒル松山



【奥の院の一夜】
 20kgほどのザックを背負って登り詰めた山頂には5mほどの観音像が建っている。もし寝ているときに地震が起きて観音様が倒れてきたら押しつぶされるだろう。場所を選んでテントを張る。プレミアムモルツのロング缶を観音様の前にそなえ、日本酒の4合瓶をお不動さまの前にそなえる。では、いただきます。……37日ぶりのビールが胃袋に浸み込んだ。

 夜も更ける中、テントの中では宴会が始まる。おそばをゆでて日本酒をあたためて練り物を食べる。寺のすぐ裏にいるのだから除夜の鐘が聞こえるだろうと思っていたのだが期待外れ、何にも聞こえなかった。昨日は7つも寺を訪れたのにどの寺も除夜の鐘を撞かないのだろうか?
 時折こげくさいにおいが鼻に突く。その度にテントかシュラフを焦がしてしまったか?!と慌てて周りを見るが何も焼けている様子はない。
 夜中に寺の人が見回りにも来ない。年越しの瞬間まで起きていることもおっくうになり、シュラフにもぐりこんだ。


【元旦】
 朝である。もそもそと朝ごはんを食べる。日本酒をちびちび飲む。
 外に出てぼつぼつ消えていく街の光を眺める。観音様の足元に座って贅沢な時間をひとり過ごしていると人が会話する声が聞こえる。足もとからである。誰かが登ってきたのだ。
「おはようございますー」
 ひろげまくった食料、食器類を片付けつつ挨拶をする。
 登ってきたのは男女の二人組。お二人は知り合いというわけではなく、毎年正月に初日の出を見るときにだけこの山で出会うのだという。
 初日の出を待ちつつ話をしているとまた一人、白人らしい顔立ちの男性がやってくる。この方もお二人と知り合いというわけではなく、毎年正月に初日の出を見るときだけにこの山で出会うのだという。
 先にいた女性の方は生粋の日本人である。しかし自己紹介された名前はとても日本のものとは思えない。尋ねてみると、昔に流行ったCMの真似をして外国風の名前を名乗っていたら定着し、今では郵便物すら外国風の名前で届くくらいに定着し、逆に本名の方が知られていないとのことだった。一方あとから来た男性の方は日本国籍を取得し日本名を名乗っている。

 太陽は久万高原の方角から上がるはずだ。しかし雲が厚い。去年も雲が厚かったが待っていたら甲斐あって初日の出を拝むことができたという話題で盛り上がっている。
 女性は笑い話を披露する。
 去年のことである。雲がかかっており日の出はもう無理かもな……という雰囲気がただよっていて、同席していた悲しそうな顔をしている子供に「人生、あきらめが肝心やで!」と言っていた。しかし初日の出がでたとたん、「ほら!何事もあきらめたらあかんで!」と言ったという話だ。子供はぽかーんとした顔を彼女に向けた。大人は都合いいなーというオチでしめくくられた。

 今年は無理かもねーという雰囲気が漂う中、雲の切れ間から瞬間、光が差した。
 真っ赤な光は太陽のもの。初日の出がちゃんと姿を現した。みんなで写真を撮りまくりわいわいと楽しむ。

 一通り写真を撮り終えて3人が去った後、犬を連れたご夫婦が山頂にやってきた。
 太陽はすでに雲をつきぬけてしっかり輝いている。ご夫婦は写真を撮り、コーヒーをふるまってくださった。お遍路であることを告げると飴玉をいただき、昨日ここで泊まったことを告げると「えーここで泊まったの?!火はちゃんと管理してね!」と言われた。どうやらこの山、去年、といってもほんの二か月前なのだが、火事があったらしい。
 ご夫婦の男性は消防団に属しており、その時の様子を語ってくれた。
 夕方に火の手があがり、通報が届いた。山頂からの眺めはもちろん、ふもとからもよく見えるこの山頂が燃えるさまは山のぐるり360度すべての集落から見えており、通報がどんどん来た。
 山頂には水がない。消防団は20mホースを60本つないで、ようやって山頂まで水をもっていった。日頃の訓練の甲斐あり素早く鎮火させたので大事には至らなかったが、風の強さや天候いかんでは太山寺はおろか周辺の家家も燃えていただろう。火元はいまだ明らかになっていないが、山頂の一本の木の根元が特に真っ黒にこげていたので、そこが火の発生元であり、火種はハイカーが捨てたタバコが原因ではないかと推察されている。
 なるほどきのうの焦げ臭さは火事の残り香だったのか。言われてみれば周りを見渡すと木の幹が黒く焦げている。
 ご夫婦は山を下りていく。
 私はプレミアムモルツのロング缶を開けると朝日をみながら喉を潤した。

 その後もいろんな人が登っては降りていく。なんだかNHKの72時間定点観測する番組を見ている気分だな、と思いながら松山の人々と会話する。そうして日も高くなった11時頃、テントを撤収して山を下りた。

 寺にはたくさんの初詣客が訪れている。だが奥の院まで行く人はまれらしい。
 御朱印帳を抱えた人に今日中に円明寺へ行くか尋ねられ、行きませんと答えた。もしかしたら方向が同じだったら車に乗せてくれる心づもりだったのかもしれない。感謝しつつ寺を辞する。
 今日は一日お休みにするので、これから松山市街のホテルへ向かう。微妙に逆打ちになるので道標がない分、道がわかりづらい。成願寺や久万ノ台温泉などをおとずれつつ次の機会のために野宿適地を探しつつ歩く。松山の市街地まで来てセブンイレブンの前でWi-Fiだけ借りて明日以降の予定を立てる。どうもそこで手袋を片方落としたらしく、ここから先は片方手袋ナシで旅をつづけることになる。Wi-Fiを使ったのに何も購入しなかったため『やられた』のだ。反省した。

 時間をつぶしてホテルに到着し、今日はゆっくりと過ごした。


【使ったお金】
ごはん 624円
お酒  539円
お賽銭 0円
宿   3,400円
洗濯  500円

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