四十四日目
2021.1.8(金)
行程:ヘンロ小屋しんきん庵秋桜→六十五番札所三角寺→別格十三番札所仙龍寺→別格十四番札所椿堂→ヘンロ小屋しんきん庵法皇




 テントを片付けているうちに彼は先に出て行った。その後立ち寄ったファミリーマートで彼がイートインで充電しながら飯を食っているのを見て、「なるほど朝飯をコンビニで食うという手があるのか……!」と感心した。コーヒーのうまさといい、この旅ではコンビニの良さをおしえてもらってばかりである。

 次なる目的地三角寺へ向かってまずは戸川公園を目指す。ファミリーマートを過ぎて松山自動車道をくぐり標高をあげていく。戸川公園にはトイレがある。トイレの隣には屋根付きのベンチがある。おじいさんが一人寝袋にくるまって弁当を食べていた。ここ最近はテントをもたないお遍路にばかり出会う。(といっても3人だけど)お遍路さんはテントなんて持たずに寝袋で過ごすのが基本スタイルなのかもしれない。贅沢したい私には無理そうだ。
 さて、ここから急坂を登る。どんどん高度をあげていき振り返ると海が見える。海の前にはもうもうと煙(水蒸気だろうか?)をあげる道煙突が数本立っている。
 ここは四国中央市。四国中央といえば紙の出荷量日本一のまちである。あの煙突は紙工場のものだ。どんよりした雲と煙って霞がかる島々と海と煙突が絶妙なバランス感覚で神秘的な絵画となって眼前にせまる。息をのむ風景だった。
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 道がよくわからず行ったり来たりを繰り返しているうちにファミリーマートで朝食をとっていた彼が追い付いてきた。その後どこで追い抜かれたのかさっぱりわからないのだが、おそらく私が道に迷って行ったり来たりしているうちにスルリと歩いて行ったのだろう。三角寺の境内で、白衣に身を包んだ彼に出会った。どうも寺の中でのみ白衣を着るスタイルらしい。軽くあいさつを交わして私も寺を参る。
 門につるされた鐘を二度つく。読経をすませ、境内に梅のほころびを見る。次の仙龍寺を目指して雪に覆われた山道に足を踏み入れた。
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 2.6km。標高780メートル地点は地蔵峠。峠にはなくなった頭のかわりに小石をつまれたお地蔵さんが座している。下りはすこし勾配があり、雪ですべる。転ばないように慎重に足を運ぶ。下った先は仙龍寺。さきほどから標識に奥の院としきりに書かれていたが、どうやら仙龍寺のことを奥の院と称するらしい。とすれば突然あらわれたこのお堂ははてなんだろうか?そう思いながら奥の院八丁の石碑を見送る。さらに下山していくと滝が現れた。滝はしかし動きを止めている。凍っているのだ。滝から下の水のよどみも氷が張りその上に雪が薄く積もっている。風流にもほどがある。
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 氷瀑をみおくりさらに進むと眼下にお寺がみえてきた。これこそ仙龍寺であろう。そして同時に雪もちらついてきた。さて、流れる汗をぬぐい手を洗おうかと手水にやってくるとこれが凍り付いている。「四国雪なんかふらんやろーwwwあったかいし」なんて思っていた私の四国への見識をどんどん塗り替えてくれる光景だ。ちなみにこの手水においたてぬぐいはそのまま置き忘れてしまった。かなりショックだ。さて、御大師様にお会いするにはお寺の中にはいらねばならないらしい。ザックを背負ったまま靴を脱いで失礼する。広くて気後れするような廊下を進み左に曲がると暖かい空気と共に石油ストーブが目に入る。人々が談笑している。私は読経ののち珠をいただく。このお寺のお坊さんは珍しくも接客がきちんとできるちゃんとした人間だった。
 お礼を言って寺を辞するとさきほどまで見えていた地面はすべて真っ白に変わっていた。
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 ここからは道路を延々と歩く。右手にはダムが見える。ダムと離れて全長1200メートルほどの堀切トンネルをぬけると道路は下り。
 ステージクリアである。眼下に見えるのは次のステージだ。高知県からのお遍路は「ひとつ山を登っておりてステージクリア眼下の景色が次のステージ」の繰り返しだ。なんともやりがいがある。
 標高も100メートルを切って金田町の集落に着くと雪は一切見えなくなった。別格14番札所椿堂は集落の中にひっそりとあった。お寺の人は感じのいい人だ。仙龍寺といいお寺の人がいい人だなんて本当に珍しいことだ。さて、愛媛県で過ごすのも今日で終わりである。ここから国道192号に沿っていったん徳島に入りさらに香川へ出る。
 風は強さを増してきた。レインウェアだけではかなわない。ついにダウンジャケットを着て歩くこととなった。ダウンを着てもなんと汗をかかない。それだけ空気が冷えているのだ。コンクリートブロックづくりで中に毛布がしかれたバス停なんかがあるあたり、この辺、降るのだろう。
 そして1400しんきん庵法皇に到着した。ここから先にも野宿適地があるかもしれないがこの寒さ。これ以上高度をあげると夜を過ごせる自信がない。
 と、いうことで愛媛県最後の夜はここで過ごすことにする。田んぼのまんなかにぽつんと立つヘンロ小屋。ヘンロノートには「風が吹くと冬季の3000メートル級です」と書かれて笑っていたが、風通しのよさはヘンロ小屋随一。かなり厳しい夜だった。これ以上標高の高いところに行かなくてよかったと思った。近くにトイレがないので田んぼに失敬した。屋根はあるが雪はテントに積もってくる。ラーメンをすすって寝袋に入り込んだ。
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【歩いた距離、歩数】
32.18km 46,784歩

【つかったお金】
ごはん 515円
お賽銭 602円

四十三日目
2021.1.7(木)
行程:
ホテルセントラル西条→番外札所十二番『延命寺』→遍路小屋しんきん庵秋桜



【本当に偉くてすごくてお大師様の教えを踏襲しているのは、お接待をする人です……】
 
昨晩うどん居酒屋で食べたくじらは実にうまかった。土地のものを食うのは実にいいものである。とくに愛媛は菓子類が豊富だ。しょうゆもち(ただし一六タルトのはおいしくない)となんだがとても固い焼き菓子が非常においしい。さて、6:20にホテルを出発する。
 東に行き山を越えれば徳島をはさんでいよいよ香川入りである。
 私が使っている地図(四国遍路ひとり歩き同行二人)は進行方向が右から左のページへ進むようになっており東西南北がころころ変わるのでいつも西に進んでいるような気分になっている。そして土地勘がないので脳内にある日本地図上のどこに自分がいるのかイマイチというかさっぱりわからない。なので今日も東ではなく西へむかって進んでいる感覚である。とはいえ太陽は進行方向からのぼってくる。やはり東なのである。
 この日記をつけている今現在はグーグルマップを参照できるので、「ああ、私こんなとこ歩いてたんだ」と理解できている。

 さて、国道11号を道なりに進む。空模様は怪しい。寒さも随分こたえてきた。レインウェアを着こむ。進む先々のコンビニに立ち寄る。腹が減ったらスイーツを何かしら買う。おかげで今年のコンビニスイーツには詳しくなった。
 コンビニは非常に便利だ。飯も食えるしトイレもあるし充電もできるしゴミも捨てられる。こんな便利なものが各地にあるのだからお遍路旅はなんとも気楽だ。
 さて、そうこうしているうちに厚ぼったい雲から水が降ってくる。ザックにレインカバーをかける。山々には雪がちらついているようだ。雨に濡れる道中も地図に従い国道を離れる。
 とぼとぼ進み、そろそろ腹が減ったなあという頃に『弘法の館』という建物が見えてきた。倉庫にペンキを塗ったような外見だ。今までもこのような建物は目にしてきた。おそらくお接待所というやつだ。平常ならお遍路さんを迎えるべく開いているのだろうが、今は感染症が猛威を振るっておるさなか。開いているところなど一か所しか出会っていない。ここもどうせ閉まっているのだろう……と扉を引いたところ、開いた。
 中は非常に美しく清掃されている。どこかのお宅の応接間かと見まがう様相だ。壁には一面、訪れた人が置いて行ったであろうお札が貼られており、中にはお礼のお手紙も貼られていた。清潔なベッドも用意されていたが基本的に宿泊はノーらしい。
 応接間には机といすが置かれており、机にはノートがある。目を通すと久万で出会ったコーヒー屋さんも今日ここを通過していったようだ。私が雪山でぐずぐずしている間にとっくに先に進んでいたらしい。
 さて、ザックをおろし電子レンジでおにぎりを温める。あたたかいものを食べられるのは単純にうれしい。先客に習い私もノートにお礼の言葉を添え札を置いて館を出た。つかの間の青空が見えた。
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【今日も風呂】
 先ほど分かれたはずの国道に再び舞い戻る。延命寺に到着したころには再び雨は気にならなくなったが風が強くなってきた。延命寺のあずまやにザックを置いて寺を訪問する。このあずまやも宿泊しようと思えばできないこともなさそうだ。しかし住宅地の近くというのは気を遣う。珠をいただき辞する。「これから三角寺と仙龍寺ですか、明日になさるんですか、雪だと坂怖いですものね」みたいな会話をした気がする。今から寺に行くとか坂で滑るとか会話内容が理解に苦しむあたり、おそらく車遍路だと思われていたのだろう。
 次に三福寺に行くつもりであったがいったいどこをどう見逃したのか、曲がるのを忘れて直進し通り過ぎてしまったためもう戻らず国道を東進した。時間的にまだまだ余裕はあるのだが次は山登りが控えているし寒いしそろそろ歩くのも飽きてきている。今日は山麓の伊予三島の町で一泊することとする。
 でかい道路のでかい歩道橋をあがり、見下ろした先にそのヘンロ小屋はあった。まるでバス停だ。ヘンロ小屋の周りは駐車場かバスの転回場にしか見えない。そしてやはり風がすごい。すっかり体が冷えてしまった。ザックをヘンロ小屋に放置して風呂へ行く。『湯あそび広場三島乃湯』というところだ。二日連続で風呂に入れるなんて幸せだ。ついでに充電もして飯も食う。今日は鍋焼きうどんだ。ほんとうに体があたたまる。

 すっかり暗くなりヘンロ小屋に帰ってテントを張ろうとする。……するとこんなに真っ暗なのに男性が一人やってきた。なんでもテント無しで遍路しているらしい。仕方なく小屋内を譲り私は外にテントを張る。ものすごい風に四苦八苦しながら張り終える。男性が「手伝いましょうか」と言ってくれているので甘えればよかったのだが、つい癖で「大丈夫です!」などと言ってしまう。人とかかわることを億劫がる引っ込み思案の性格はどうともならない。
 男性は小屋の中にマットをひろげて寝袋を構えなかなか居心地よさそうだ。私もなんとか我が家を建ててくつろぐことにする。

 さて、明日は三角寺と仙龍寺である。山の中を歩くようだがお遍路での山登りなど慣れたものである。ゆっくり体を休めて明日に備えることとする。
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【歩いた距離、歩数】
44.02km 64,238歩

【つかったお金】
ごはん 3,319円
お賽銭 1円
宿   2,755円
風呂  600円

四十二日目
2021.1.6(水)
行程:
六十一番『香園寺(こうおんじ)奥の院』→高鴨神社→六十二番『香園寺』→清楽寺→六十二番『宝寿寺』→芝の井→六十三番『吉祥寺』→石鎚神社→六十四番『前神寺(まがみじ)』→ホテルセントラル西条



【四国での再会】
 起床、今朝もラーメンとサラダを食べる。東屋の中に設てたテントを撤収。
 歩き出して1kmほど進み松山自動車道をくぐりぬけると大谷池に着く。池のほとりはきれいに整備されており、芝のはられた広場にはこれまたきれいなトイレと東屋があった。
 なんと!昨日あと10分ほど歩を進めていればちゃんと水が流れる綺麗なトイレに出会えたのだ。知らなかったものは仕方がない。先に進む。
 次の目的地である『香園寺』の裏側には『高鴨神社』がある。以下に神社の看板の記述を引用する。

『雄略天皇(5世紀)の時代、大和の国、南葛城郡にご鎮座の高鴨神社の御分霊をお迎えして祭ったのが始まりといわれています。霊峰石鎚山を開いた役の行者の氏神で、平安時代には伊予の国の官社となり、室町時代には周布郡の領主黒川氏、江戸時代には小松藩主一柳(ひとつやなぎ)氏が代々崇敬しました。嘉永元年、雨乞の霊験により天皇から正一位の神階を受けられました。』

 この記述に登場する『南葛城郡の高鴨神社』は私の生まれ故郷である奈良県御所市にある。鈴鹿宮司の娘さんとは中学校の同級生だ。
 カモといえば京都の下賀茂・上賀茂を思い浮かべる人が大多数だろう。そのカモ氏の出自は奈良県御所市なのだ。
 遠く愛媛の地に来て出会った高鴨神社。奈良県の歴史の深さと当時の政権の力に思いをはせながら神社を回る。


【六十一~六十三番札所】
 標高を下げて香園寺(こうおんじ)に至る。香園寺の姿かたちは八十八の中でも、いや、一般的な寺院建物のなかでも特異中の特異である。茶色い箱だ。遠くから見たらセレモニーホールか学校の体育館か市町村の公民館的な施設にしか見えない。
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 境内に人はいない。とりあえず禁止されてないようなので鐘を突く。茶色い箱の正面には賽銭を入れる場所があるがどうも御本尊の姿が見えない。ちゃんとお参りするには寺に入る必要があるようだ。
 入り口はどこだろう?きょろきょろしてみると建物の脇に階段をみつける。階段をあがった先には重厚なガラス扉が立ちふさがる。まるで百貨店だ。そごうの扉だ。鍵はかかっていないのでありがたく入らせてもらう。先は土足禁止になっている。スリッパが準備されているので靴を脱いで履き替える。建物内部はそれはもうセレモニーホールか映画館のよう。入って左手奥には椅子がずらりと並び、右側にはご本尊がいらっしゃる。御本尊はライトアップを受けて光り輝いている。参拝客はまだ皆無だ。
 いつものようにご本尊、お大師様とお参りをすませて建物を辞した。
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 次は清楽寺へ向かう。清楽寺は六十番横峰寺の前札であり元札だ。前札と元札の意味は今もよくわかっていないが、お大師さまゆかりの地としてかつてお遍路さんがお参りした場所、とでも理解しておけばいいだろう。
 国道11号をぬけてわかりにくい横道にそれてJR予讃線を渡ると清楽寺である。お遍路ビジネスをしていないお寺なので八十八の寺とは趣が異なる。いうなれば、どこの集落にでも一軒はありそうなたたずまいのお寺だ。たいがいのお遍路さんは立ち寄らずに通り過ぎてしまうだろう。お参りをすませて国道へ戻る。

 次は六十二番『宝寿寺』を目指す。このお寺は住職が参拝客に暴力をふるったということでいっとき八十八の寺から除外されていた話題のお寺だ。駅前にあるそれはこじんまりとしている。境内をのぞくと坊主が一人歩いていた。登山者が使っているような杖を一本づつ両手に持ち、ノルディックの要領で境内を歩き回っている。
 街中のお寺ということもあり鐘はつけないようなのでご本尊とお大師様への参拝のみとする。経を読み終わり振り返ると先ほどまで歩きまわっていた住職の姿は消えている。境内を見まわしてみると、社務所のガラス戸の向こうに姿が見えた。どうやら参拝客たる私が来たのでご朱印の準備をしているらしい。すまないが私はスタンプなど欲しくない。坊主を横目にさっさと寺を辞した。
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 六十三番の吉祥寺に行く前に奥の院とされている芝の井に立ち寄る。石で四角に成形された浅い水場にお大師様が立っている。低層住宅地のどまんなかなので経も上げずに一礼して先に進む。
 国道に戻り六十三番吉祥寺に到着。ここは禁止されていないので堂々と鐘を二回突く。吉祥というだけあってご本尊は毘沙門天だ。毘沙門天を祀るのは八十八の寺の中では唯一吉祥時のみである。ちょっとほほをにやけさせつつ『オンベイシラマンダヤソワカ』を唱える。
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 さて、次の目的地は六十四番前神寺(まがみじ)だ。国道11号をそれて国道と南に並行する遍路道を歩く。国道11号は車が多い上に歩道は狭い。歩きであれば遍路道を通るのが安全だ。
 前神寺を目指して東へ進んでいると大きな鳥居が目に入った。額束を見てみるとどうやら石鎚神社らしい。石鎚といえば西日本最高の標高を誇る霊峰であり天狗の棲家である。そんな石鎚神社が私の興味を惹かないわけがない。今日の予定に入ってはいなかったが急遽石鎚神社に立ち寄ることにした。

【石鎚神社・六十四番前神寺】
 国道をそれて坂を登っていく。通常の神社なら随神、お寺なら金剛力士像が鎮座している場所には鼻高天狗がいる。天狗様の隣、門の横にリュックと杖を放置して神社の階段を登っていく。初詣、といったところだろうか。参拝客は多い。境内にはとうもろこしの屋台もある。屋台にはりつけられた紙にはゆっくり霊夢とゆっくり魔理沙がいたので思わず携帯で写真を撮ってしまった。
 階段を登り詰めた拝殿前の広場からは愛媛の平野と瀬戸内海、そして海を挟んで遠くには山が見える。山の正体は瀬戸内海に浮かぶ島々だろう。境内の敷地は広い。御大師様像、石鎚山遥拝所、役行者像などを拝してゆっくり堪能し、社務所で煮詰まったものすごく苦いコーヒーをいただく。神社を辞する。
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 さて、六十四番前神寺(まがみじ)は石鎚神社からそう遠くない。こちらは石鎚神社と比べて人がまばらだ。人より猿の方が多いくらいだ。境内の真ん中にどかんと立つ門松が悲しい。しかし賽銭はすでにしっかりもらっているらしく、トイレの横に小銭がたくさん積まれていた。

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 今日はホテル泊である。
 伊予西条駅前の西条セントラルホテルに宿をとっている。まだ時間は早いが宿をとってしまったので今日の進捗はここまでとしてチェックインする。さっそくシャワーを使うがいつまでたっても温かくならない。仕方ないので近場の日帰り温泉に行った。
 そして飲酒も今年は解禁なので夜は居酒屋なのである。西条のうまいものを食おうと思う。

【歩いた距離、歩数】
18,721km 27,138歩

【つかったお金】
ごはん 953円
酒   160円
お賽銭 302円
宿   2,755円
洗濯  300円
風呂  620円
居酒屋 4,190円


石鎚
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