生存確認


こめの旅日記。

タグ:野宿

三十五日目 その2
2020.12.30(水)
行程:古岩屋バス停→四十四番大宝寺→四十六番浄瑠璃寺→四十七番八坂寺→別格九番文珠院→四十八番西林寺→杖ノ渕公園



 三坂峠から駆け下りる。旧遍路宿『坂本屋』再建地に着く。
 普段なら坂本屋はお接待所として開いているのだろう。今はトイレだけが開いている。清潔に保たれたトイレをありがたく利用させていただき、軒下で一休みする。頂いたパンをかじると女性の言う通りむちゃくちゃおいしい。クリームもカレーも既製品でないことは瞭然。特にクリーム。この、もったりとした、口の中で溶けない、ごろごろした感じ。めっちゃ旨い……。もう一個食べたいが一個しかないのである。

 雪も雨も止んだ。県道194号ぞいにひなびた集落を北上する。弘法大師の網掛け石、丹波の里接待所(閉まってる)などを横目に歩いて行くと四十六番札所浄瑠璃寺にたどり着いた。参拝し、すぐお隣の四十七番札所八坂寺へ。八坂寺には陳腐な閻魔堂があり、地獄の道、天国の道、などという絵展示がされている。参拝し、すぐお隣の別格九番文珠院へ。珠をいただいて次は大宮八幡神社へ向かう。この神社に生えているイブキビャクシンの根もとに『金平(こんぺい)狸』が祀られている。四国は狸信仰が篤い土地なのである


【札始大師堂】
 参拝を終え、さらに北へ。『札始大師堂』に着く。別名、小村大師堂。小村は地名。お遍路の開祖といわれる『衛門三郎』が最初に参拝した御大師様といわれているので、札始大師堂と呼ばれている。この大師堂は宿泊させてもらうことができる。

 私はお遍路には何の予備知識もなしにやってきた。よって、真念さんのことも知らないし、衛門三郎のことも知らない。お遍路の歴史も何も知らない。それでよかったと思っている。もしお遍路の道中で知る機会があるのなら、それは私に縁のあることだし、知る機会がなければ縁のないことだからだ。そもそも私にとってのお遍路の動機は、長期旅と野宿の練習だ、お遍路であること自体に意味はない。

 しかしここで衛門三郎と出会ったので、どういう人物なのか記しておこう。

 小村大師堂の横には川がある。空海が四国を産業振興のため巡業していたとき、その川が大水であふれた。そこで空海は川の横に草庵を結び、当時この地の富豪で会った衛門三郎に相談をしに行った。川の治水土木工事の相談に行ったのだ。
 ところがこの衛門三郎、一般庶民からは強欲非道慳貪邪見の人として知られており、空海を見るや乞食が来たと追い返した。何日もやってくるのでついに竹ぼうきで空海の持っていた鉢を打ち割ったという。その後空海が来ることはなかった。
 それからどうしたことか、衛門三郎の八人の子供が次々と死んでいった。無常を呪った衛門三郎は、ふと、乞食姿の旅僧のことを思い出した。それはもしや、今都で有名な、生神様仏様とあがめられている空海ではなかったのか?もしかして何か相談事があったのではないか?そう考えて大勢の者に探させたがみつからない、決心した衛門三郎は荷俵を背負い、三衣を首に、足中草履に杖笠を構えて(つまりお遍路の姿)空海に面会して詫びようと、小村までやってきた。小村に置かれた大師像を見て、そこで一夜を明かし、翌日、目印に名札(木製)を添えて、そこから空海の跡をたずねる旅に出た。

 以上がお遍路の開祖、衛門三郎のお話であり、小村大師堂の縁起だ。
 なお、空海が工事しようとした川は松山城主加藤嘉明の家臣、足立重信により工事され、今は重信川と呼ばれる。
RIMG7120


【杖ノ渕公園】
 重信川を渡り松山自動車道をくぐりさらに北へ。四十八番札所西林寺に参拝。今日のお宿は西林寺奥の院の杖ノ渕公園だ。でっかい駐車場にはたくさん車がとまり、公園は家族連れでにぎわう。幕営準備をするには早すぎる。公園のすみのでっかい東屋で座りパンをかじる。
 東屋の壁に張り紙がある。いわく、『人不足により公園での夜間の安全性を確保できないので野宿をしばらく禁止します』とのこと。
 どうやら今までは公園管理者に届を出すことにより野宿OKという方式だったようだ。それが、夜間に見回りをできる人員がいないのでできなくなった、ということらしい。
 ならばなにかあっても公園に責任を負わせないのであれば野営OKということだろう。そう解釈したのでここで幕営することにした。

 まだ日が高いので少し遠いが『南道後温泉ていれぎの湯』へ向かう。荷物は東屋にデポする。温泉でひとっぷろあびて公園に戻ってくる。駐車場は閉まる。暗くなったことを確認し、まわりに光が漏れないよう注意しながらテントをたてる。
 明日は大みそか。道の駅で購入した正月飾りをテントの入り口に巻き付けて年末気分をだす。しかし夕食はパンである。うまいからいいのである。

 お遍路、特に劇的な出会いなんてなくて、普通に寺回って普通に終わって普通に帰るんだろうな……そう思っていたのだが、自分のやり方次第でいくらでも出会いはあったりなかったりするのだ。
 そんなことを考えつつ、人目におびえながら眠りについた。


【歩いた距離、歩数】
40.14km 58,507歩

【使ったお金】
ごはん 1,279円
お賽銭 8円
珠   300円
お風呂 700円

三十五日目 その1
2020.12.30(水)
行程:古岩屋バス停→四十四番大宝寺→四十六番浄瑠璃寺→四十七番八坂寺→別格九番文珠院→四十八番西林寺→杖ノ渕公園



【『人生』を真剣に考えるひと】
 12/29夜。
 雨は予報を外さずやってきた。真っ暗な中雨がざざと降っている。
 その夜は古岩屋バス停内に幕営した。古岩屋バス停は広い。かつては乗車券発売所があったのだろう。ベンチは30人は座れそうだし、テントも3つは張れそうだ。トイレと自販機もすぐ横にあり便利だ。おまけに隣は温泉だ。ここで野宿するお遍路は多いだろう。
 夕飯のカレーうどんと福神漬けを食って寝る前のストレッチをしていると「こんばんは!」と声をかけられた。すわ、警察の職質だろうか?「こんばんは!」と返してテントから体を出す。
 「一晩ご一緒していいですか?」白衣に菅笠、手には金剛杖。お遍路さんだった。
 「どうぞどうぞ!……ずいぶん遅いですね」「そこの温泉に行ってたんですよ」「なるほど、私も行きました」「僕、こっちの方で寝るんで」「あ、そこに電気のスイッチありますんで点けてくださいよ」「いやいや、いいです、このくらいの光量で」
 ランタンの光の下、彼は寝床をつくりはじめた。彼の寝床はテントではない。テントなし野宿オンリーで旅をしている。
 その理由はすぐにわかった。

 「僕、こういうことやってるんですよ」彼はリュックにつけている看板を見せてくれた。
『コーヒー点てます』
 お接待をしてくれた人、コーヒー飲ませて!と言ってきた人にコーヒーを点てて歩き遍路をしているのだ。せっかく出会ったのだからお茶でもして1時間くらいお話ししていきませんか?ということだ。そうやって出会った人とお話をしているから、毎日どれだけ進めるかわからないので野宿が都合がいい、とのこと。
 「だから明日の朝、コーヒーいれさせてくださいね」
 願ってもない話である。

 そして朝である。テントを片付けている傍らで彼はコーヒーの準備を始めた。
 バス停内のベンチの上に藍染めのふろしきを広げる。お湯は南部鉄器の急須でわかす。コーヒーを注ぐ器は湯飲み茶碗だ。ほかにもコンロ、豆を炒る道具、各種豆……コーヒー用品だけで4kgはありそうだ。そりゃあテントを持つ余裕はない。おまけに彼の足元はわらじだ。茶を入れて歩く人、茶人だから履物はわらじだろう。という発想によりそのいでたちで旅をしている。だから荷物が重たいと足へのダメージがひどく、20km歩くだけでもキツいそうだ。
 
 彼は学校卒業後、一度も就職ということをしたことがない。彼についての詳しいことは『フリーコーヒー』でググれば一発で出てくるのでそちらで参照していただければいいと思う。彼は自転車でアラスカやら砂漠やらを走っていたそうだ。海外では旅先から日本の学校へリモート授業を行ったり、スポンサーをつけたりして日銭を稼いでいたらしい。著書があるかと聞いてみたら、本のオファーは来んねえ……とつぶやいた。
 海外自転車旅から国内旅にシフトしたのは強盗に二度出会ったことがきっかけ。海外で無一文になりパスポートも盗られたがその時はネットの仲間や旅先の人にお世話になり助かった。助かったが、結局お金がなければ何もできないのだろうか?お金の可能性に限界を感じ、帰国後、
 お金がなかったら生きていけないのか?現代は人とのつながりが希薄だ、助け合いの精神も希薄だというが、それは人の心が変わったのではなくて人とつながる場が無いだけなのではないか?では、場を提供すれば人とのつながりができて助け合いもできるのでは?よし、実験しよう。
 と考え、コーヒーセットのみを持って無一文で旅に出たそうだ。
 街の一角にふろしきをひろげ、『コーヒー点てます、お返しはなんでもいいです』と看板をたてていた。次第に人がやってきてコーヒー片手にお話をする。そのうち『お返し』がたくさんありすぎて食べきれなくなった。そこで、『お返し要らず』の『フリーコーヒー』に転向する。完全に無料無償でコーヒーをふるまうのだ。そしたらそれはそれで、コーヒー飲みながら無一文で旅してるんです~なんて話をしていると、じゃあこれで何か食えよ、とお金をくれる人がいたり、これ食えよ、と食べ物をくれる人もいたりして、世の中お金なんてなくても人とのつながりだけでやっていける、そして、人とのつながりが希薄というのは人の心が変わったからではなく、環境が変わっただけなのだ、と確信した。
 その延長にこのフリーコーヒーお遍路がある。

「……うまい……」
 この日いただいたコーヒーはお遍路ブレンド。四国の知り合いのカフェの方にブレンドしてもらった豆だそうだ。

 しっかりとしたコクと酸味と少な目の苦み。厚みのある味。

 己がなにをすべきなのか、なぜ生まれてきて何を世界に求められていてそして自分は何をしたいのか。『人生』について真剣に向き合って、常に頭を動かしている人間が点てるコーヒーは、偽物ではないごまかしのない、ちゃんとしたコーヒーの味がした。

  雨がやんできた。外も明るくなってきた。
 茶人は四十五番札所の岩屋寺へ向かう。私は四十四番札所の大宝寺へ向かう。ここでお別れだ。
「また会いましょう!」
 名刺をいただいてこちらはお札を渡し、互いに違う道を進んだ。

 ちなみだが彼、十夜が橋で通夜堂にとまってた人であり、小田せせらぎの里で手袋を拾った人でもある。もう一度くらいお遍路で会うかと思ったが、いかんせん私が寄り道しすぎてて会うことはなかった。
RIMG7063


【ひとのことを真剣に心配できるひと】
 やんできたかと思えた雨はまだ強くなってきた。大宝寺に参拝し、寺を辞する。
 国道33号を北進する。再び小降りになってきた雨は雪に変わりつつある。風がびうびうと顔をなぐり、ときおりあられがぴちぴちと頬を叩く。痛い。
 それでも私の装備はいうて山用である。ゴアテックスである。これくらいの天候で泣き言をいう理由も歩くことをやめる理由も皆無である。

 ガシガシ歩いていると「お遍路さーん!」と声をかけられた。声のするほうを見ると道端に白いワゴンが止まっている。運転手が声の主だ。
 車が来ないことを左右確認すると道路を渡りワゴンに駆け寄る。
「お遍路さん、パン食べませんか?!」「いただきます!!」ノータイムで返事をした。
「一回通り過ぎたんだけどね、見てみたら女性だしまだ若いし……それに雨も降ってるし。かわいそうになって、また戻ってきたの!」と言う。わざわざありがとうございます。
 運転手、女性は車を降りるとトランクを開ける。そこには紙袋が並んでいる。
「甘いのと日持ちするのとどっちがいい??」「えー甘いので!」またもやノータイムで返事をした。
「甘いのかー……」そう言って彼女は紙袋にいろんなパンをつめこんでいく。
「カレーパンとクリームパンがすっごいおいしいのよ……。ここ、私のすっごい好きなパン屋さんで」
「ああ、パンがたくさんあるからパン屋さんかと思いました!」
「あはは、違う違う。みんなで食べる予定だったから、たくさん買ってきたの!私の好きなものばっかりだけどね」
「好きなものなのに、もらっちゃっていいんですか?しかもこんなに……」
「いいのいいの!」
「みんなで食べる予定だったのに……私が最初にもらっちゃいましたね」
「ほんとだねー!」
 クリームパン、カレーパン、ベーコンエピ、なんかでっかいの(カンパーニュっていうのかな?)、メロンパン……これもう全種類くれたんじゃないかというラインナップだ。四国の人、サービス精神が旺盛すぎる。
「!あ、これもおいしいから!!」
 ついでにポテトチップスまでいただいた。
「え、こんなに……」
「ポテトチップス嫌い?」
「いえ、大好きです!!」
 お接待は断ってはいけない原則に従って遠慮なくいただく。ちなみに遠慮するとだいたい怪訝な顔をされるので、もらえるものは気持ちよくいただいたほうが良い。
 たくさんのパンをいただき感謝し彼女と別れた。

 ワゴン車を見送り歩き出すとにわかに雪が強くなってきた。
 吹雪はメガネのレンズに積もる。手にしたパンの袋が濡れて破れそうだ。
 道路沿いのお遍路休憩所で荷物を整理する。若い男性のお遍路さんが休憩所にいた。ろくなレインウェアもなくて南無大師遍照金剛と書かれた質素なポンチョを着ている。この装備ではここから三坂峠越えは山慣れしていないとしんどいだろう。
 雪降ってきましたねえ、と声をかけ、先ほどいただいたメロンパンをおすそわけする。お遍路さんからお接待をもらうなんて……と彼は恐縮していたが、いっぱいあるのに一個しかおすそわけしない私はかなりケチだな、と自分では評価した。

 雪はどんどん積もる。国道も景色は灰色だ。
 看板に従って三坂峠に入る。三坂峠は心霊スポットとして有名だ。とはいえ周辺には人家がたくさんある。この場所を心霊スポットと呼ぶのは住民に失礼だろう。
 おそらく心霊スポットなのは国道上だけであり、走り屋たちがつくった噂話だろうと思う。ガチの心霊スポットではないだろう。ガチスポットは足摺岬くらいである。

 雪が降り始めて10分も経っていないだろう、しかし地面はすでに真っ白だ。びょうびょうと風が下から吹いてくる。しかしこれを下ればもう大した場所もあるまいとガシガシ下る。雪と風を除けば山道としては大して険しい道でもない。雪から逃げるように高速で山道を駆け降りた。

三十四日目
2020.12.29(火)
行程:道の駅小田の郷せせらぎ→四十五番札所『岩屋寺』→古岩屋バス停



 起床。
 テントは外も中も水滴でびっしょびしょになっている。設営場所が川に近すぎた。もっと奥にテントを立てればよかった。

 さて、今日の行程についてだ。
 四十四番札所から四十五番札所までの一般的な遍路道は往復をする。一度歩いた道をまた歩いて戻らねばならない。そんなつまらないことは御免なので違う道を選ぶ。『農祖峠(のうそのとう)』→『日の出橋』→『素鷲(すが)神社』ルートだ。遍路ステッカーだけを見て歩いていると出会えない道だ。16年前のガイドブックには載っているが、最近のガイドブックには載ってないかもしれない。しかしだからこそ不安もある。本当に歩ける道がついているのか?不安でいっぱいになりながら小田のAコープで購入したオムそばをもぐもぐする。クッカーで温めた豚汁で一息ついてパンをかじる。咀嚼音と川のせせらぎとテントに水滴がついてふくらんでいく音だけが耳に届く。


【農祖峠越え】
 6:20、出発である。ここから先は商店が皆無。4食分くらいの飯を持っていく。いつもよりザックが重い。水の心配はしていない。どんな田舎でも集落があれば自動販売機があるということは今までの旅で学習済みだからだ。
 国道380号ぞいに進む。左手に『畑峠(はたのとう)』経由の遍路看板が現れる。こんな道はガイドブックに載ってない。どこにつながるのかわからないがおそらく『鴇田(ひわた)峠』につながる道だと思われる。できるだけトンネルではなく古道を歩きたいところだが私が目指す方向と違う。道を見送り国道をまっすぐ進んで『新真弓トンネル』を抜ける。『父峰村(ふじみねむら)』の集落に入る。霜のおりる集落はじんと冷える。二名川と出合い左折する。
 しばらくして山に入り農祖峠を越える。
 道なりに下りていくと『→岩屋寺←大宝寺』の道標に出会う。道標とともに立つ看板には『岩屋寺への遍路道は〇通。当所を〇へ、大宝寺から岩屋寺へとお進みください。』と書かれている。前者の〇には『不』、後者の〇には『左』が入るようだ。今は不通ではない、右へ行ける、ということだ。意気揚々と右へ進む。
 国道33号に下りる。ここで左折したら久万町の中心部に着く。久万町中心部にたどり着けば飯も宿もふんだんにある。だがそっちには行かない。面白くないので……。県道153号へ進む。山を切り開いた広い車道だ。車道なので傾斜は強い。えっちら上り『中の村』集落に入る。『→岩屋寺』という道標にしたがい右折。道なりに進むと日の出橋があり、橋の前で左折する。
 廃村へ入っていく。遍路ステッカーこそないが古い石の道標がある。他では見ないタイプなのでこの村オリジナルのものだろう。廃屋をいくつか見送り村の最奥へ進むと失礼ながら廃村には似つかわしくない立派な鳥居とこけむした参道が目の前に現れた。『素鷲神社』である。
 あまりの立派さにしばし見惚れる。こけむした階段を上り拝殿へ。神楽も奉納できそうな広い拝殿だ。階段がゆがんでいたり拝殿床に苔が生えたりはしているものの管理はきちんとされている風だ。
 賽銭箱の横に置かれた菓子缶をあけると一冊のノートがある。住所と名前を書き込み再びふたをする。
 面々と続く信仰心に感銘をうけつつ休憩をすませ神社を辞する。ここからは山登りである。
RIMG7031
RIMG7035


【槙ノ谷ルート】
 『槙の谷』から山に入る。登山道ぞいに『大村邸』、『黒川邸跡』、『前田邸跡』、『福住邸跡』、『高岡邸跡』、などと家跡があるらしいがよくわからない。道に従い高度をあげていくと植樹の伐採に使われたのであろうブルドーザー道が横断し、遍路道が断絶している。コンパスで方角を確認しつつ歩いているとピンクテープが見える。テープに従い進むとそれらしい道があらわれるので進んでいく。
 しばらくして鯖大師の札『お大師様も歩かれた道』が現れてここが遍路道だと確信する。
 踏みあとぞいに進んでいくと八丁坂の茶店跡に着くことができた。
 案内板曰く。『ここは、野尻から中野村を経て槙ノ谷から上がる「打ちもどり」なしのコースとの出会い場所です。槙ノ谷は 昔 七島村の組内30戸程の人達が、この道こそ本来のコースであることを示そうとの意気込みを持って、延享5年「西暦1748年」に建てた「遍照金剛」と彫った大石碑が建っています。』
 そこには遍路道道標の倍以上ある高さ、両手で抱えるほどの大きさの見上げる石碑が立っていた。
RIMG7039


【四十五番札所岩屋寺へ】
 ざくざくと進んでいくとやがて道は下りになる。般若心経が書かれた壁に囲まれた真っ赤な不動明王像が見えてくる。さらに進むとお堂とその裏に見上げる岩壁があらわれる。岩屋寺奥の院の『白山逼割(せりわり)行場』だ。納経所でお金を払って鍵をもらえばこの岩山を登らせてもらえるらしい。お金を払って得るものに価値はないと考えるのでここはスルーだ。
 どんどん降りていくと仏像の姿が目立ってくる。『三十六童子行場』だ。男性が一人あがってきた。
「わっ。こんなところ歩くお遍路さんいるんですね……」
「いやまあ、遍路道ですから」
 なんて会話を交わして進む。まあ、ここを歩いていた当時、お遍路さんの一般的な道はここじゃないってことすら知らんかったけど。
 さて、山を下り切って岩屋寺に到着である。岩屋寺は山をのぼって到着する寺なのに、下りて到着なんてなんだか愉快だ。
 参拝をすます。
 建物の裏には屏風のような岩壁がそびえている。これを見るためだけに来ても価値がある寺だろう。
 寺を辞する。三門前の階段をカップルが上ってくる。さらに下る。参道の両側には営業していない商店が並ぶ。土日祝しか営業していないのか、covid19の影響かはわからない。なんにせよ静かなのはいいことだ。
 県道12号に合流し、わざわざ歩きにくい遍路道を選んで歩を進める。川の水がきれいだ。なんて思いながら古岩屋荘バス停に到着である。
 古岩屋荘では温泉に入ることができる。ゆっくり体を温めて、コインランドリーで洗濯をし、テントとシュラフを乾かして、いい時間になって古岩屋バス停にテントを張った。

 そして夜、バス停に訪問者が現れる……。


【歩いた距離、歩数】
35.89km 51,986歩

【使ったお金】
ごはん 460円
お賽銭 2円
お風呂 400円
洗濯  400円

三十三日目
2020.12.28(月)
行程:別格八番十夜ヶ橋→道の駅内子フレッシュパークからり→道の駅小田の郷せせらぎ



 起床。予想はしていたがテントの中もシュラフもじっとり濡れている。川沿いだから仕方ない。
 クッカーでうどんを煮る。コンビニの肉じゃがを放り込んで肉じゃがうどんにする。
 十夜ヶ橋の納経所がひらくのは7時だ。毎朝4時起きの私は手持ち無沙汰。鯉をぼーっと眺めてから十夜ヶ橋通夜堂隣のトイレへ行く。トイレは水洗ではないし臭うしあまり良い場所ではなかった。もちろん使わせてもらえるだけでありがたい。
 隣の通夜堂には電気が点いている。覗いてみると白衣に菅笠姿の男性が一人、通夜堂内のお大師像に一礼している。外にはわらじがある。本格的なお遍路装備だ。もう出発するのだろうか。だとしたらこれから先彼に再会することはないだろう。
 セブンイレブンへ行く。道路を渡ったところでトイレの電気を消し忘れたことに気が付いた。コンビニから戻るときに消すことにする。
 セブンイレブンにて生まれて初めてコンビニのコーヒーをいただく。うまい。100円でこの味なのか。なぜ今まで130円も出してクソ不味い自販機の缶コーヒーなど飲んでいたのだろう。

 コーヒーを飲み終えてテントへ戻る。通夜道を見てみると電気が消えている。先ほどのお遍路さんは出発したのだろう。横のトイレを見てみるとこちらも電気が消えている。先ほどのお遍路さんが消してくれたのかもしれない。ありがとうございます。ほんとは直接お礼とお詫びを入れておきたいところだが、それは叶わない。心の中で礼と詫びをする。

 十夜ヶ橋に戻ってくる。まだ薄暗い。それでも参拝者はやってくる。
 テントを畳んで7:00。納経所でインターホンを押して珠をいただく。7:30、出発である。


【内子町の中心地へ】
 もう年末。だいぶ寒い。午前中はレインウェアと厚手の手袋が欠かせない。
 国道56号沿いに歩き新谷(にいや)集落で脇道を進みまた国道に合流し五十崎(いかざき)の駅近くで遍路看板に導かれ脇道へ入る。やがて遍路道は野球場横に出てくる。この近くにある『願成寺』は番外霊場だ。参拝はパスする。歩き疲れているのだ。願成寺の下には『駄馬池』という池があり、弘法大師ゆかりの『思案の堂』がある。池にはコクチョウがたたずんでいた。

 看板に導かれJR内子駅横の線路を渡り内子町に入る。ここは観光地らしい。江戸時代にひらかれた商店街で、かつては『六日市村』あるいは『内の子村』とよばれた。小田川流域で生産される大洲和紙の集散地として問屋が並び、店舗が軒を連ね、特に木蝋で栄えた明治時代は県下で有数の町に発展した。近くには大正5年に建てられた歌舞伎劇場『内子座』があり昔をしのばせる町並みが残る。町中にあるあずまやで腰かけおにぎりを食べる。民家は多いがおそらくこのあたりも野宿適地だ。
 昔の町並みを通り過ぎ国道を横断すると『道の駅内子フレッシュパークからり』にたどり着く。

 道の駅売店は正月飾りを求める人々でにぎわう。私もテントに注連縄をぶらさげたら面白いかもしれない。そう考え、稲わらを直径10センチほどの円形に編み直径2センチほどのみかんを一つつけた正月飾りを購入する。
 売店にはほかにも地元の野菜、果物、総菜、パン、お菓子、などなどが並ぶ。ここで見た姿寿司は酢飯ではなく酢おからだった。
 レストランはまだ営業していなかったのでテイクアウトのハンバーガーを求める。甘味噌をからめた豚肉は実にうまかった。一休みして発とうとすると女性に声をかけられる。
「お遍路さん?これ、あげるわ」
 そう言ってさっそうと立ち去る。女性は私にメロンパンをくださった。ありがとうございます助かります嬉しいですと謝辞を述べて先へ進む。


【内子町集落へ】
 国道379沿いに東へ進む。二泊まで可能な『お遍路無料宿』、当分の間宿泊不可能な『千人宿大師堂』、筏流し祭が行われる川、バス停兼お遍路休憩所、などを見ながら歩いて行く。お遍路休憩所には住民の川柳が飾られている。
 『原発反対 オール電化の 家に住み』
 センスあふれる。
RIMG7017

 遍路道の看板が脇道を指している。人にあいさつしながら歩くことを面倒に感じ始めていたので人に出会うことを避けるために国道沿いを歩こうとする。その前に水を買おうと自販機に立ち寄る。すると向かいのあずまやに座る男性が声をかけてくる。
 「国道行くよりなあ、こっちの道のほうが、ちょーっとばかし短いで。こんなかんじの休憩所もいくつかあってなあ。たまにお遍路さん寝てるわ。夏になるとなあ、その辺の川で水浴びして、それから寝てるねんなあ」
 そう言って笑っている。
 道を教えてくれた礼を言って正直に遍路道を進む。結果的には遍路道の方が歩きやすかった。国道はアップダウンが無駄に激しく歩き疲れた体には辛そうだった。

 のちのち徳島県眉山ロープウェイの横で『おへんろ。』を熟読する機会があった。おへんろ。によると内子町はどぶろく特区らしく、この辺りの集落ではどぶろくをつくっているらしい。休憩所ではお遍路さんにふるまわれることもあるんだそうな。ああ、飲みたかったなあ……。 

 どぶろく特区集落を抜けて人家がみえなくなったころに東屋が見えた。車道沿いに砂利を敷き詰めた区画があり、自転車置き場がある。コンクリートの礎石の上に東屋が建っており、中のは机といすがある。できてまだ日が浅そうだ。
 東屋の壁にタオルをかけて干す。とても日当たりが良くてぽかぽかする。
 そうだ、と思い付きザックを下ろしシュラフを取り出す。シュラフをひろげ、太陽の光に充てる。しばらく休憩しつつ乾燥することとする。自分の体も日光に当てる。15分ほど乾燥休憩をとって先へ進む。


【小田町で幕営する】
 内子町から小田町へ入る。ここで遍路道は別れる。四十四番札所『大宝寺』に行くまでにどんな道を進むかで行く方向は変わる。
 『農祖峠(のうそのとう)』経由ならば右へ。『鴇田峠(ひわたとうげ)』経由なら左だ。
 私はといえば。昨日車道で、テントの中で、うんうんうなって決めたルートは農祖峠経由だ。ちなみに向かうのは大宝寺ではなく、四十五番札所『岩屋寺』だ。

 そして幕営地『道の駅小田の郷せせらぎ』に到着する。
RIMG7020

 せせらぎの名に恥じず川の音がずっと聞こえる。川からふきあがる風は冷たい。
 売店に入る。ぐるり回ってみるがめぼしいものはない。
 川沿いのベンチにザックを置いて徒歩10分ほどのAコープへ買い出しへ行く。
 農祖峠経由岩や寺、その道には店舗が一切ない。今夜から明後日朝までのことを考え6食分ほどの飯を購入し道の駅に戻る。ポテトチップスをかじり炭酸ジュースを飲む。おなかがゆるんででっかいうんこが出る。

 暗くなるのを待つ。川沿いのベンチでガイドブックを見て明日明後日の道を再考する。すると
「お遍路さんですか?」と眼鏡をかけた男性に声をかけられた。
「○○(何て言ってたか忘れた)の友達?」と尋ねられる。
 違いますと答えると、ああ、ごめんなさい、あなたみたいなお遍路さんを待っていたもので、と言って帰っていった。
 再び寒さに耐えながら暗くなるのを待つ。携帯でお遍路日記をつける(まだ二日目の日記だ)。歩き遍路さんがやってきて閉店した売店の前に座った。
 暗くなる。歩き遍路さんもこの道の駅に泊まるのだろうか。
 しばらくすると先ほど私に声をかけてきた男性が道の駅の事務室からやってきて歩き遍路さんを連れて行く。歩き遍路さんが座っていた場所に手袋が放置されており、私はお遍路さんに「忘れてますよ」と拾って渡す。
 眼鏡の男性に、寒いけれど大丈夫ですか?慣れてますか?と聞かれる。とっさに大丈夫ですと答えたがここで大丈夫じゃないですと答えたらもしかして男性の家に泊めてもらえたのかもしれない。
 二人を見送ってまたベンチに戻る。

 そしてテントを建てる。場所は悩みに悩んで自転車置き場、植木の横に建てた。
 ほんとは屋根がある場所が好ましいのだが、屋根がある場所は駐車場から目立つしトイレまでの導線上になる。結果的にはこの場所は間違いだった。売店前に建てるかEV電気スタンドがある側の建物の下に建てればよかった。

 夜もクッカーでうどんを炊く。かきあげを乗せてお惣菜をいただく。
 向かいの内子町自治センターの敷地ではクリスマス風のライトアップがぴかぴかと輝いていた。


歩いた距離、歩数
33.43km 48,556歩

つかったお金
ごはん 3,010円
お賽銭 50円
珠   300円
注連縄 200円

三十二日目
2020.12.27(日)
行程:肱川河川敷→別格七番金山出石寺→別格八番十夜ヶ橋



 テントの内側がすごく濡れている。川沿いは水分が多くて嫌になっちゃうな。そう考えながらジッパーを開けて外を見るとまっしろの霧に包まれていた。今日訪問する別格七番札所『出石寺(しゅっせきじ)』は景色が良い寺ときいている。こんな霧では展望も望めまい……がっくりしながらうどんをゆでる。ガス缶を降ると液体は残り半分を切っているようだ。あと何回くらい使えるのか見当がつかない。どこかで一缶調達しておきたいところである。
 朝6:00。ザックを駅前のコインロッカーにあずけて最小限の荷物で出石寺へと出発である。


【標高300mの景色】
 出石寺への道は大きく3ルートある。
 延々車道を歩いて最後に1時間ほど山道を歩く高山ルート、大洲西トンネルをぬけてJR伊予平野駅から沼田川ぞいに進み山道へ入り前述の車道に合流する平野ルート、JR伊予平野駅から沼田川ぞいにすすみ車道と合流したり離れたりする瀬田ルートだ。(もう一つ、高山ルートに合流する阿蔵ルートというのもある)
 私は山道をたくさん歩くルートを選ぶ……と言いたいところだが、アクセス難度と野営地を考えて、JR大洲駅から車道を延々歩く高山ルートを選んだ。
 結果的にこのルートを選んだことは大勝利だった。

 県道234号を歩き久米川を渡る。辺りはあいかわらず霧で真っ白だ。
 JR西大洲駅の脇へ車道を進む。線路を渡り小学校の横を通り集落の行き止まりから車道はどんどん高度を上げる。標高230メートルくらいで左折し崖の上に立つ集落を抜ける。
 ここで霧が晴れる。
 眼下には息をのむ景色が広がっていた。
 標高たった200~300メートルそこらでこうなるものなのか。
 麓を雲がうめつくし、雲をかきわけて山々がぽこぽこと頭を出している。雲海だ。街はいまだ霧の中のはずだ。それが、こうして少し離れるだけでまるで違う世界が広がっているのか。
 夜明け。太陽がでてくると同時に世界は黄色背景の水墨画になる。ほれぼれする。何度もカメラのシャッターを切る。
 他のルートから出石寺を目指していたらこの雲海は臨めなかったであろう。大勝利である。
RIMG6972
RIMG6973



【別格七番札所、金山出石寺】
 車道から山道に合流する。
 ネット情報では道がわかりにくい、迷いやすい、到達難易度ナンバーワン寺、などと書かれていたが実際は看板が豊富で迷う心配はなかった。しかし看板がなければ迷い込んでしまいそうな脇道もあり、初見泣かせの寺であることに違いはなさそうだ。

 しばらく進むと大量の地蔵に迎えられる。歴史的に地蔵を奉納する人が絶えない寺だったようだ。今では『お願い』なんて看板が立っていて、もう地蔵を置く場所がない。地蔵を奉納する際は寺に一言くれ、勝手に置いて行かないでくれ、という内容が書かれている。

 ところで地蔵の中に翁像が紛れていたがいったい何だったんだろうか。これも信仰者の奉納なのだろうか。

 寺に到着である。鳥居より大きいドでかい大師像に迎えられる。門につられた鐘を二度叩く。出石寺はうどんが有名らしい。10時営業開始である。参拝しているうちに10時になったので土産物屋兼うどん屋に立ち寄る。明らかに接客業にむいてない兄ちゃんが相手をしてくれた。
 うどんはしいたけが甘くて旨くて冷えた体を温めてくれた。
 このうどん屋は人気のうちに今年の3月に営業を終えた。あの兄ちゃんは独立してうどん屋をしているのか。うどんなんてつくりたくなくて寺を出て行ったのか。不明である。


【別格八番札所十夜ヶ橋へ】
 下山である。来た道を戻る。8kmの車道歩きは冗長である。急ぐ気もないし車が通る気配もないのでガイドブックに目を落として歩く。
 懸案事項だ。
 八十八か所巡礼の次の目的地は四十四番札所大宝寺と四十五番札所岩屋寺である。この二つのお寺は久万高原という高地にある。山登りである。
 この二つにどういったルートで行こうか。どこで寝ようか。それがいまだ決まらない。このルートを通ったらここで飯を買ってここで泊まって……いや、このルートの方が楽しそうか……?うんうnうなって考える。
 天気も問題なのだ。低気圧が接近している。下手すると大雪で足止めを食らう可能性がある。今の装備で雪山の中で野営などごめんである。
 うまく雪を避けて進むにはどのルートを歩くのが最善なのか、頭をひねりながら車道を下っていく。

 いつもよりたっぷり時間をかけて8kmを歩き人の生活圏に到着する。もうガイドブックに気をとられながら歩いてはいられない。

 車道の角にコメリハードグリーンを見つける。そういえばガス缶が欲しいのだと思い出す。
 脳内でお大師様が”その店に入っても無駄だぞ、コメリハードグリーンにガス缶は置いてないぞ”とつぶやくが念のため入店して探してみる。果たして無駄足だった。さすがお大師様である。

 さて。少し打ち戻ると温泉があるがどうしようか……。行くの面倒くさいしさっさと野営したいな、と考えつつも脳内でお大師様とお不動様が温泉行ったほうがいいぞとつぶやく。2対1である。しぶしぶ温泉へ行った。果たして、行ってみた『臥竜の湯』はお遍路さん100円引きだしWi-Fiとんでるしコンセントで充電できるしで行ったことを後悔する要素がゼロだった。さすがお大師様である。


【十夜ヶ橋で野宿】
 別格八番札所『十夜ヶ橋(とよがはし)』を目指す。
 ダイキでガス缶を、アルペンで靴下を購入する。アルペンのレジの女性がお遍路すごいですね、がんばってくださいと声をかけてくれて嬉しくなる。
 別格八番霊場十夜ヶ橋に着いた。すでに17時を過ぎているので参拝のみ済ませる。納経所は明日行くことにする。閉店ギリギリのこの時間、駐車場に停まった車からはあわてて走り出てくる白衣の姿がある。週末お遍路さんかもしれない。今日中に行かないと御朱印がもらえない!ということなのだろう。

 時間だけはクソほどある歩き遍路こと私は参拝を終えて橋の下へ行く。橋の下にやってくると1分も経たぬ間に雨が降ってきた。もう少し遅かったら濡れているところだった。すごいタイミングだ。お大師様に守られているのか。そういうことにしておこう。

 さて。十夜ヶ橋というのは何か。
 一言で言うとお大師様が泊まった橋である。あまりの寒さに一夜が十夜にも感じられたので十夜ヶ橋ということである。
 数日前に野村集落で見た十夜野の伝承と被る。きっと探せばほかにも似た伝承をもつ地名があるのだろう。
 この十夜ヶ橋はクソ有名霊場である。
 橋の下には横たわる大師像があり、毛布が何枚もかぶせられている。お遍路さんだけでなく地元の人も普段から参詣する、人の絶えない現役の霊場である。
 川の横には鯉の餌が置いてある。1カップ10円だ。
 たわむれに1カップすくって川にばらまいた。川には鯉がざっと100匹ほどいる。生き物虐待の様相だ。ハトが鯉の餌目当てによってくる。あとあと考えたらハトの糞被害を非常に受けそうな場所にテントを張ったと思う。きっとお大師様に守られているので糞被害は受けないのだろう。そういうことにしておこう。

 十夜ヶ橋の周りはインフラがめっちゃ整う。
 激安スーパー、ホームセンター、アウトドアショップ、ホテル、コインランドリー、カラオケ、ネットカフェ、居酒屋、回転すし……便利すぎてここで住める。
 トイレは十夜ヶ橋の通夜堂横にあるが、そこよりも24時間営業スーパーラ・ムーのトイレの方がきれいだ。

 夜飯はココイチに行った。注文したカレーが来るまでの間はハイキューを読んでいた。
 夕飯を終えて飯の調達を終える。
 すでに真っ暗だがその後も3人ほど参拝者がやってきて寝ているお大師像にお参りをしていく。
 さすがに野宿の聖地だけあって私のテントを見ても誰も驚いたりしない。あって当然のような顔で「こんばんわ」「ご苦労様です」などと声をかけてくれる。

 人の足音、鯉の水音、ハトの鳴き声、雨が叩く音、橋の上をぎゅんぎゅん車が走る音。
 にぎやかなはずなんだけどなんとなく穏やかな雰囲気をもつ、不思議な場所。
 レインカバーとシュラフにくるまり、気温以上に温かい気持ちになりつつ眠りについた。
RIMG6996
RIMG6997


歩いた距離、歩数
41.59km 60,398歩

つかったお金
ごはん 2,625円
お賽銭 0円
珠   300円
お風呂 360円
コインロッカー  200円
ガス缶 547円
靴下  649円

↑このページのトップヘ