三十日目
2020.12.25(金)
行程:ユートピア宇和→永照寺(バラ大師)→日切地蔵→道引大師→白王権現→四十三番札所明石寺→宇和パークホテル



【職質】
 道路が怖い。暗いが車が少ないうちに出発すべきか。車が増えるが十分に明るくなってから出発すべきか。少し悩んで、暗いうちに出発することにした。
 5:50。テントを畳む。外はまだ真っ暗だ。ダム湖も闇の中だ。
 橋を渡って車道に合流する。少し打戻り、荷物を日切地蔵にデポしてまた車道へ向かう。歩道がない車道はとても怖い。極力運転手に見つけてもらうためにヘッドランプを点けて歩く。本当はヘッドランプよりも反射材が欲しい。車のライトが当たったら反射でピカピカ光るやつだ。津照寺に反射タスキがおいてあったのだが荷物の大きさを考えてタスキではなくお守りをいただいてしまった。あの時タスキを選んでいればな、と後悔しても仕方ない。
 トンネルを抜け、橋を渡り、トンネルを抜け、国道441号をくだっていく。国道441号は四万十から大洲に抜ける道らしく、通行量が多い。ばひゅばひゅ車が走っていくたびに内心でひぃぃ……と悲鳴を上げる。まあ、運転手に怖い思いをさせているのは私も同じことなのだろうが……こちらはワンアタックワンキルの可能性があるので怖さマシマシだ。

 恐怖の国道歩きを終わりようやく西予市(旧野村町)市街地まで下りてくる。交差点を渡ると信号待ちしているパトカーから出てきた警察に呼び止められる。
 「どこ行きよるん?」「永照寺です」「朝暗いからね、これ、声かけた人にあげてんねん」
 警察は私の腕に黄色い反射材でできた板を巻いてくれた。
 欲しかったやつやん……!!こんなことある?
 あまりのナイスタイミングに声も出ない。
 「反射板渡した人にはみんな名前と住所きいてんねんな。教えてくれる?」
 なるほど職質。気を取り直し、名前と住所を答えると警察はメモ帳に書くふりをした。気を付けてね、と送られて再び永照寺へと急ぐ。
 反射材の腕に巻くやつ。タスキほどでかくはないが暗い時にコレが動いていたら車からも見つけやすいだろう。朝から欲しい欲しいと思っていた物が手に入ってしまった。今日は12/25。サンタ・愛媛県警・クロースありがとう。

 朝が明ける。明るくなる。
 反射材。今貰っても意味ないな……。もっと早く欲しかった。


【永照寺(バラ大師)】
 そんなことを考えながら野村市街地をぬける。中学校の前に中学生たちが門前に横並びになり挨拶をしていた。負けじと私も挨拶をする。
 学校を過ぎると通行量はグンと減り人家がまばらになってくる。『ばら大師→』の看板に導かれ細い道を登り永照寺に到着した。

 永照寺。別名バラ大師。
 延暦十年のことである。お大師様が四国を巡錫中にここで野宿したが、バラの蔦が茂っており安眠できず、一夜の野宿があたかも十日間の苦行のごときであった。そこで大師は法力でバラのトゲを封じ込めた。そのトゲを封じ込められたバラがお堂の裏に繁茂し、大師像の周りを覆っている。
 このバラは南予に自生するバラの一種で、トゲがない。ちなみにこのバラを持ち帰ると災難にあうので花はおろか種も持ち帰ってはいけないらしい。持ち帰ってはいけないが、参詣して一心に祈願すれば、一切の煩悩のトゲは滅除され、心願はことごとく達成するらしい。上手く言ったつもりかもしれないが意味不明だ。何だ、煩悩のトゲって。

 ところで。『一夜の野宿があたかも十日間の苦行のごときであった』ことから、このあたりの地名は十夜野(とやの)と呼ぶ、と伝承は続くのだが、これは十夜が橋の伝承とごっちゃになっていると思う。十夜が橋は別格八番札所なので詳細はそこを訪れる日記に書こう。

 バラ大師の伝承についてはとげなしバラよりも井戸の方が魅力的だ。
 境内には井戸がある。この井戸は町内に水道設備がなかった昭和の時代、2人のお遍路さんが掘りあてたものだその後昭和40年に水道が引かれた際に井戸は危険だと土砂でつぶしたが再度発掘したとのことだ。
 大師が杖で水を掘り当てた!とかいう想像力や独創性を感じさせないしょうもない伝承ではないのだ。


【日切地蔵】
 昨日幕営予定をしていたダム公園に立ち寄った。野宿適地ではあるがトイレがシルク博物館の方にあるので遠い。ユートピア宇和で野宿しておいてよかった。
 休憩もそこそこに来た道を戻る。
 荷物の回収に日切地蔵へ向かう。荷物あずかってくれてありがとう、とお賽銭を投入する前にふと考える。
 堂内には縞々の旗が並ぶ。この旗に願い事を書いて境内にぶっさすらしい。
 旗は1,000円で誰でも奉納できる。ここで魔が差す。
 やおら財布から1,000円とりだし、お賽銭箱に入れる。新品の旗を手に取り、備え付けのマッキー(黒)で見様見真似、願意を書く。
 『奉斎 肝臓元気 令和二年一二月二五日』
 できた。
 バランスは悪いがこれでよし。
 旗をお地蔵さんの一番近くにぶっさして満足。車道を通って歯長峠からの丁字路に合流した。


【明石寺・白王権現】
 次は四三番札所『明石寺』だ。
 道すがら、県道29沿いにある道引大師にお参りする。建物の中は畳一枚分もないがここで寝泊まりするお遍路もいるらしい。
 さて、肱川(ひじかわ)ぞいに西へ進み、遍路看板にそって松山自動車道の横を進む。ほどなくして明石寺の奥の院『白王権現』に出会う。
 石垣に覆われたそこは建物があるわけではない。中央にこんもりと盛り土があり、土の上に石の祠があるだけの簡素な場所だ。ただし、雰囲気はたっぷりだ。霊感ゼロの私だが、それでも何かいるのを感じる。この日記を書いている今、自分で撮った写真を見ても背中にぞわっとしたものを感じる。実際に訪れたときは入り口の石段に何かがいるのを感じた。

 辞して明石寺へ進む。愛媛県歴史文化博物館へのぼる道に進み、あとは遍路看板に導かれると木造のいいかんじの建物に出会う。
 明石寺。本来の名は「あげいしじ」だが現在は「めいせきじ」と呼ばれる。土地の人は「あげいしさん」「あげしさん」と呼ぶそうだ。
 その昔、若くて美しい女神が願をかけ深夜に大石を山に運ぶうち、夜明けに驚き消え去ったという意味不明な話がある。
 境内奥には謎の神社がある。こけむしたいい感じの場所だ。意味不明な場所に鳥居があるのも魅力的だ。ずらりと並ぶ幅50センチほどの摂社たちは扉がなくて鏡だけが中に吊られている。管理されているのかされていないのかさえ不明だ。


【宿へ】
 明石寺の裏から遍路道が山に向かって延びる。遍路看板に導かれ歩いてく。下り道に差し掛かった時に東屋に出会う。日差しも気持ちいいし誰も来ないし静かだし、一休みしていくことにする。椅子に腰かけパンをかじる。座ってしまうと出発するのが面倒くさい。数十分ぼーっとして体が冷えてきたころに再び歩き出した。
 山を下り国道56号に合流する。だらだらと道沿いに歩いて行き、今日のお宿『宇和パークホテル』に到着だ。ホテルの入り口前には金剛杖を洗うための水道がある。洗うと濡れるので洗うのはよしておいた。
 めぼしい外食屋もないので夕飯は向かいのセブンイレブンでおにぎり、納豆、カツカレーを購入。
 大浴場でしっかり足を延ばして温まり、6日ぶりに布団に入った。


歩いた距離、歩数
36.33km 52,831歩

つかったお金
ごはん 1,639円
お賽銭 1,008円
宿   2,980円
洗濯  300円
薬局  1,305円(テーピング、ティッシュ)