生存確認


こめの旅日記。

タグ:今治

四十一日目
2021.1.5(火)
行程:
丹原総合公園→別格十番『興隆寺』→久妙寺→六十番『横峰寺』→星ノ森→六十一番『香園寺(こうおんじ)奥の院』


 ラーメンをすすりごぼうサラダを食う。まだ暗い中テントを片付ける。
 公園にはまた戻ってくるのでザックを放置したまま北へ進む。番外霊場の久妙寺(くみょうじ)が見えてくる。
 久妙寺には閻魔像がある。閻魔像はしっかり写真を撮りたいので久妙寺は明るくなってから参拝することとし、まずは別格十番『興隆寺』を目指す。
 車道を進み民家の間を抜ける。まだ暗いけれど民家の前では女性がふたり会話している。おはようございます、と言って横を歩いて行く。「お遍路さん?こんなところに?」「ほら、この上、お寺さんあるやろ」「へえー」そんな会話を背中で聞く。
 墓地の間を歩いていると犬の散歩をしている男性に出会う。あいさつをしてさらに登る。
 道路両脇に広い駐車場が見え、橋を渡ると苔むした森の中にすっと石畳の道が一本伸びているのが見える。静謐な森。雰囲気がある。美しい。番外霊場でなくてもこんないい感じの場所があるのかと驚いた。
 石段を登り終えると境内が見える。大師堂を見上げると人の背丈ほどの幅のある天狗面がどんとかざられている。私は天狗と閻魔の近くで寝ていたのか。いやおうなくテンションが上がる。
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 本堂、大師堂と参拝し納経所へ向かう。珠をいただく。「歩き遍路さん?ちょっと待ってな」と言って納経所の女性は大師堂へ向かう。出てきた女性の手にはみかんとタオル。そういえばここは今治市だった。ありがたくいただく。
 静謐で美しい森を再びぬけて墓地を降りていく。すると目の前には白く雪をかぶった平らな山岳が遠くに見えてくる。あれは……間違いない。一目でわかる。石鎚山である。西日本最大の標高を誇る霊峰が目の前に現れた。美しい山に見惚れながら高度を下げる。さて、ここからはお待ちかねの久妙寺である。
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 久妙寺閻魔堂。説明板にはこう書かれている。『閻魔大王尊像は四国でも数か寺しかなく、非常に珍しい尊像である。』なるほど確かにここまで閻魔像をお目にかけることはなかった。珍しい閻魔像をしっかり目に焼き付けよう。……と、この時は思った。この文章が嘘であることはこの先々で明らかになる。

 久妙寺を辞して荷物を回収し県道147号を南下していく。中山川を渡る手前で目の前に車がとまる。「お遍路さん、どうぞ、これ」車の窓から顔を出した男性は私に缶ミルクティーを渡した。「おつかれさん、がんばってね」車はさっそうと走っていく。感謝しつつ歩いて行く。

 今日の行程で出会える最後の商店であるファミリーマートにたどりつく。ファミリーマートのイートインには『お遍路さんのお荷物一時保管致します』とでかでかと表記してある。

 買い出しを終えて六十番『横峯寺』へ、アスファルトの車道を高度を上げていく。
 2km……5km……黙々と高度を上げていく。
 背後から車がやってくる。「お遍路さん、がんばって。はい、これ」飴玉を2個いただく。車は私をぬいて走っていく。しばらくするとまた同じ車が帰ってきて、「お遍路さん、この上にな、トイレとあずまやあって、あと水場あるから。そこの水飲めるからね!がんばって!」そして颯爽と走り去っていった。
 車道を登り詰めると東屋、駐車場、水場、トイレがある。東屋にノートがありめくってみる。『~~区切り打ちで明日帰るので今日は仙遊寺からここまで来ました。まっくらな中歩いてきました。~~神奈川県るんぺん』
 ああ、あの人だ……。るんぺんさんっていうんだ。と、この時は思ったのだが、帰宅後に調べてみたらるんぺんというのは一般名詞だった。いわば歩き遍路は全員るんぺんだ。
 さて、駐車場には車が目立つ。普通のハイカーのもののようだ。ここから横峰寺まではほんの1.6km。一時間あれば十分登れる距離である。ということは横峰寺までではなくてほかにルートがあるのだろう。さて、急な階段へ一歩踏み出し横峰寺への山道を歩く。

 山道を登り終えると三門があらわれる。境内には白く雪が積もる。本堂、大師堂と参拝を終えてまた三門へ戻る。
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 石鎚山へ向かう道へ進む。0.6km進むと奥の院である『星ノ森』に到着する。
 大師像があり、私の背丈の半分ほどの高さの金属の鳥居が立つ。南に開けた展望の向こうには、石鎚山だ。鳥居の前には小銭がちらばる。
 当初、公園ではなくここで野宿しようかとも考えていた。実際テントも張れる平らないい場所だ。今後のために幕営適地として覚えておこう。
 ガッチリ山装備に身を固めた男女がいたので石鎚山まで行ったのかとたずねると星ノ森までですと答えた。過剰装備だなあと思いながらそうですか、石鎚山まで行きたいですねえなどと会話をした。
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 星ノ森を辞して横峰寺へ戻る。寺の前には休憩所がある。ここも野宿適地である。中にはすでに昼飯をはじめている男女がいる。少し会話をして寺を辞する。

 山道をゴリゴリ下り、分岐を西へ。香園寺奥の院『白滝』にでてくる。白滝は土砂崩れで参拝不可能な状態になっている。白滝は参拝不能であるが奥の院には白い建物があり、お大師様が祀られている。そこは有人であった。現地の人からの信仰が篤いようで作業着の男性が奥の院の女性と談笑している。その様子を横目にお大師様に参拝し進む。参道入り口にはほぼ壊れているトイレと東屋があり、そこでテントを立てて少し早いが幕営とする。
 テントを立てて寝袋にもぐりこむ。暗くなると獣が歩き回る音が聞こえた。鼻息から察するにイノシシだろう。東屋の中にまでやってくることはなく何の問題もなく一夜を過ごした。


【歩いた距離、歩数】
34.43km 49,930歩

【つかったお金】
ごはん 696円
お賽銭 5円
珠   300円

四十日目
2021.1.4(月)
行程:
五十八番仙遊寺→竹林寺→五十九番国分寺→世田薬師→臼井御来迎→実報寺→日切大師→別格十一番生木地蔵→丹原総合公園

その2

 コーヒーを飲み終えて今治市を北へ。五十九番『国分寺』を目指す。
 国道196号ぞいに歩いていると白い車が停まっている。その横には全身をアウトドアブランドのアークテリクスでかためた男性が立っている。
 「お四国参りで?歩き?カッコイイなあー!!ちょ、写真撮らせて!!」
 男性はザックを背負って杖突き歩いている私の姿を見つけて、車を止めて待ち構えていたそうだ。
 男性はなんと昨日石鎚山に登ったらしい。インスタグラムにうpったきれいな写真を見せてもらう。空の青と雪の白が見事なコントラストである。
 昨日石鎚山に登った人に出会うのはこれで二人目である。すごい偶然だ。
 少し話をして別れる。私が国分寺の方向がわからずまごついていると男性はここをまっすぐ行って右に曲がるとすぐ着きますよと教えてくれた。

 国分寺に到着である。参拝を済ませて県道156号を南下する。
 仙遊寺の歩き遍路さんと再会するとすればこの道だろう。だけれど彼はまだ来ない。

 県道沿いの道の駅『今治湯の浦温泉』で休憩する。名前通り温泉があることを期待していたがそこには入浴できる温泉はなく、噴水だけがあった。落胆して先へ進む。

 道の駅を過ぎてまたもや今治小松自動車道をくぐり、世田薬師へ向かう。境内は年始で人がごったがえしている。ここから2kmほど登ると世田薬師の奥の院らしいが面倒になり行かなかった。

 ここからは番外霊場が続く。
 まず『臼井御来迎』をたずねる。民家の裏にちまっと立つ小さなお堂だ。隣にはあずまやがある。そのあずまやでは野宿できないが、ここから1km歩いた光明寺で宿泊ができるという張り紙がしてある。
 次は『実報寺』だ。ここは地蔵の寺だ。最高だ。
 そしてまた戻って『日切大師』へ向かう。こぢんまりしているがここも雰囲気がある。良い寺だ。
 八十八か所では得られない充足感を胸にどんどん郊外へ向かう。

 民家で飼われているポニーを眺めて丹原町へと入っていく。
 途中で軽トラに乗る男性に声をかけられる。
 「どこまで行くの」「生木地蔵までです」「生木……ああ、あそこか。場所わかるか?」「はい!大丈夫です。ありがとうございます!」

 そうして六十番『横峯寺』がある山を正面から左手に変えて県道48号を西へ進む。
 別格十一番『生木地蔵』に到着である。
 この時は気づかなかったが私は300円の珠をいただくのに500円玉を出して、300円受け取ったらしい。
 生木地蔵をあとにして買い出しを終える。今日は月曜日なのでジャンプを買う。それから進行方向は北に変える。次の目的地は別格十番霊場『興隆寺』なのだ。
 しかし今日はもうタイムアップ。丹原総合公園にて幕営する。

 丹原総合公園に到着する。公園には子供連れの家族がたくさんいる。目立ちたくない私は公園のはずれにあるトイレ近くのベンチに腰掛けて、ビールとおつまみをいただきながらジャンプを読む。
 お遍路中はアルコール断ちをする!と決めて歩き始めたわけだが、年越しの宴でビールと日本酒を飲んで以来、お遍路で酒断ちすることに意味ある?と思い直して、普通に酒を飲み始めたのだ。
 ほろ酔いになってきたころ、おばあさんに声をかけられた。
「歩き遍路か、えらいな。がんばって!これあげる!あ、これも。ここにもあるな、これもあげる!」と、ポケットに入っているお菓子を一切合切私にくれた。

 好きな時に歩いて好きな時に飯食って酒飲んで好きな場所で寝て仕事もせずだらだらしているだけのお遍路。そんな私に励ましと称賛の言葉をくれてさらに食べ物まで与えてくれる。
 四国の人にとってお遍路さんとはなんなんだろう。厄介なもの?ありがたいもの?応援したいもの?忌避すべきもの?私が自分の家の近くに遍路道があったりなかったりしてお遍路さんがたびたび歩いてきたらどう思う?いやか?うれしいか?

 歩き去る女性を見送り再びベンチに座りビールを飲み、お遍路とは何なのかについて改めて思いをめぐらした。


【歩いた距離、歩数】
33.33km 48.370歩

【つかったお金】
ごはん 1,372円
お酒  168円
お賽銭 11円
ジャンプ 300円
珠   300円

四十日目
2021.1.4(月)
行程:
五十八番仙遊寺→竹林寺→五十九番国分寺→世田薬師→臼井御来迎→実報寺→日切大師→別格十一番生木地蔵→丹原総合公園

その1


【無駄な時間】
 朝六時。今朝はお寺の朝のお勤めに出席しなければならない。朝のお勤めに出席しない人もいる、というのは納経所の人の言。確かに、朝六時なんてお遍路にとってはそろそろ歩き始めたい時間だ。お寺なんて暇なんだからもっと早くお勤めしろよな、なんて悪態を秘めながら数珠は持っていないので輪袈裟だけを首にかけて本堂へ向かう。
 本堂の扉を開ける。靴を脱いで中に入る。立派な袈裟を着て眼鏡をかけた剃髪の男性と、昨夜で雪山デビューされた女性のお坊さんがストーブの前に立っていた。
 しばらくしてもう一人お坊さんがやってくる。さらに先日通夜堂を譲った歩き遍路の男性もやってくる。そして朝の勤行が始まる。

 お経は全くわからない。わからないから耳を澄ませながら仏像を眺めていた。途中、焼香を求められたがやり方がわからないので男性遍路の方に先にやってもらった。倣って二度、焼香をあげた。般若心経、真言のおんあぼきゃべいろしゃのう~、願わくはこの功徳をもって~のおなじみの文言は覚えているので共に唱和した。

 読経が終わる。堂内に静けさが戻る。剃髪のお坊さんが振り返る。
 「どこから来た?何歳?」などの雑談を皮切りに、説教とまではいかないが、講話のようなものが始まる。
 お坊さんは自らを変わり者だと言った。仏道に身をやつしていながら農業もするし猟もやる。世の中の役に立つことをやりたいのだと。
 「宗教の本来の役割、それは何か。平和を祈ることだ。宗教の役割は平和を祈ることだけれど……今、世界を見渡すと、宗教は戦争を起こす火種づくり、きっかけづくりしかしていない。それではいけないんだよね」
 でも平和を守るなんて大層だ。だから私は手の届く範囲から、作物をつくったり、害獣を駆除したりして地域の人々の役に立つことをやりたい、と。

 いっしょに講話を聴いていた男性お遍路さんはいたく感動していた。平和のために身近なことやれることからやろうだなんて、まるで御大師様のようだ!と。
 隣で私は感心していた。
 お坊さんはいいことを言った。『宗教が担う一番大きな役割とは、戦争の口実の作成である』ということだ。本当にその通りだと感心した。真に平和を願うのであればお堂の奥にひきこもっていてはいけない。それでは何も解決しない。
 私は、宗教というものは無くなった方がいいものである、という考えをより深めた。

 男性お遍路さんは区切り打ちをしているそうだ。明日には神奈川へ帰らなければいけないらしい。だから今日は進めるだけ進む心づもりのようだ。「また会うと思いますけど」「そうですねー」と言って別れたが、行き先違うから今日会うことはないよなあ……?と脳内に地図を思い浮かべながら答えた。


【有意義な時間】
 次の目的地は別格竹林寺である。仙遊寺からダッシュで山道を降りる。建設途中の今治小松自動車道をくぐりぬける。朝日を見ながら竹林寺を探す。お寺は山の上にあるものだ。坂になった車道にザックを放置して寺を目指す。小高い境内から再び朝日を眺めて参拝。一息ついて坂を下る。荷物を回収して自動車道近くのお遍路トイレ前自販機でコーヒーを買う。トイレでは女性が掃除をしていた。女性は掃除の手を止めずに話しかけてくる。
 「お四国参り?歩き?」「ええ、時間だけはあるんで……」
 歩き遍路というと、えらいね、すごいね、と言われることが多いのでそれを回避するために、『暇だからできる』ということを強調するために『時間だけはある』という返答をするようにしている。するとだいたいは、『そんな皮肉のつもりじゃないんだが……』のような反応が返ってくるのだが、今日はちょっと違った反応が得られた。
 「そうそう。時間だけはある。時間だけはな。うちの息子もな、コロナで無職なってな。家賃払えなくなってな、私も少ない年金暮らしやねんけど、家賃払てあげてな」
 「ええっ。大変ですね……。子供さんはひとりで暮らしてはるんですか?」
 「いやいや、もう50んなって、家族もいるんやけど」
 話の流れから大学卒業そこらの息子かとおもいきやかなりいい大人の話で面食らう。
 「それで仕事辞めてからな、なんかストレスやろね、病気になってしもて、入院してな。でも国民健康保険払ってなかったからな。10割払わなあかんくて、それも私が払てなあ、それから払てなかった保険料も私が払て」
 「うわ……めっちゃ大変やないですか……」
 面食らう話が続いてまともな返答ができない。息子、どんだけダメ人間なんだ。そしてこの人、神様か何かか??
「んー大変やったわー。でも命あるだけよかったわなー」
 その言葉にさらに面食らう。

 あー今日も晴れてるわーいい天気ねー。なんて言うかのようなノリで女性は話している。
 愚痴るでもなく、ただ淡々と、身に起こったことを話すだけ。結構壮絶な内容なのだけれど、こんなことよくあることでしょ?とでもいうようにあっけらかんとしている。
 そしてその間も掃除の手は一切止めずてきぱきと仕事を進めていく。

 仙遊寺でいただいた講話よりもずっと身に染みるお話だった。

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